墓地使用権とその法的性格

1 墓地新設の「許可」の法的性格について

 墓地とは、「墳墓を設けるために、墓地として都道府県知事(市又は特別区にあつては、市長又は区長。以下同じ。)の許可を受けた区域」とするのが墓地埋葬法上の定義である(第2条5号)。「許可を受けた」というのは、墓地埋葬法第10条1項・第11条1項2項及び附則第26条(見なし墓地の規定)に基づいたものであるいう意味であり、この墓地として許可を受けた区域に墓地使用権を設定することができる。しかし、このように墓地使用権を位置づけたとき、この許可を受けていない事実上の墓地(無許可墓地)について理論的に墓地使用権が成立するのかという問題が生じる。

  この時、議論が必要になるのは、「許可」の法的性格である。一般に法律(行政法)上の「許可」について、その法的性格を「許可」(=一般的に禁止されていることを解除すること、それにより、許可を受けた者は、それまで禁止されていた行為を適法に行うことができるようになる)、「特許」(=国民が本来有していない特殊の権利・能力・法的地位を与える行為)、「認可」(=私人がする契約などの法律行為を補充して、効力を与えるこ)に区分できる。「許可」は「本来誰でも有する自由を回復させる行為でり、行政庁が自由裁量によって「許可」を拒むことは許されない。つまり、許可条件を満たせば、誰に対してでも、許可しなければならない)。このように「許可」を分類した場合、墓地埋葬法上の第10条1項の許可の法的性格が上記の三つのどれに該当するのかという問題である。

 この「許可」に関して、法律第10条1項では、「墓地、納骨堂又は火葬場を経営しようとする者は、都道府県知事の許可を受けなければならない」と規定しいる。その許可について『逐条解説』では「法律上許可権限者ある都道府県等に幅広い裁量を与える規定になっている」としているように、行政庁の自由裁量によって許可を与えないこともあるのであり、その許可によって墓地経営者は住民(=市民)に墓地使用権を設定することができるのであるから、墓地新設の許可は「特許」あるいは「特許に類する許可」と位置づけることができるのではないか、と考える。

 しかし、事実上の墓地=無許可墓地についてはどうであろうか。問題となるのは、墓地埋葬法の施行前から存在する墓地についてである。墓地埋葬法施行前(明治17年)からの墓地とは、一般には個人墓地、部落有墓地(ムラ墓地)、寺院墓地に区分できるが、この施行前の墓地については現行墓地埋葬法附則第26条において「見なし墓地」の規定がある。この規定があるにもかかわらず、墓地の存在を墓地台帳に登録せず「無許可墓地」のまま現在に至っている例がある。個々にどのような事情があったのかは別に検証しなければ、事実として「無許可墓地」が存続している。この「無許可墓地」には、墓地使用権を設定する権限をもつ法律上の墓地経営者が存在しないので、墓地埋葬法上の墓地使用権が設定することができないことになる。

2 墓地としての「許可」と墓地使用権

 墓地としての許可は土地に対して与えられるものではなく、法律上は人=墓地経営者に与えられるものであり、墓地経営者が当該の土地を墓地として申請し、墓地として使用する許可が墓地経営者に与えられることになる。その与えられた「許可」に基づいて、第三者(他者)にその権利を付与するのであり、その権利のことを「墓地使用権」と呼んでいる。したがって、墓地が譲渡される場合、論理的には墓地使用権を付与する権利を他人の譲渡することは一般的には認められず、当該の墓地を他人が経営するためには、所轄官庁に改めて許可を申請する必要がある。この問題は、後で重要な意味を持つ。

 さて、民法学者は、この「許可」がどのような意味をもつかについて考慮することなく、事実として当該の土地を墓地として利用していることに焦点をあてて、この現実を踏まえてさまざまな理論構成を行ってきた。いわば、墓地埋葬法の「許可」の存在を考慮を払わずに、墓地所有との関係で墓地使用権を位置づけるようになっているのが多数説である。

 たとえば、多数説は概ね次のような理論構成をとる。「墓地所有権」と「墓地使用権」という二つのことばに象徴されるように、まず、当該の土地所有を前提として、それに基づいて墓地の使用あるいは墓地経営を行っている場合、それが墓地所有権に基づく形態となる。つまり、墓地所有権に基づいた墓地利用というのは、典型的には個人墓地の形態の形態であり、墓地経営というのは都道府県営あるいは市町村営の墓地であり、寺院による墓地経営もこれに該当する。これに対して、墓地使用権というのは墓地所有はから使用権を取得するケースであり、不特定多数の人々が利用する「共葬墓地」や寺院が経営する墓地もこれに該当し、他人に墓地使用権を付与する形態は全てこれにあたる。入会地に墓地を設けている場合、所有権に基づく権利か、墓地使用権に基づくかは理論的には微妙であるが、墓地使用権を構成するというのの説が多数説である。

 このような理論構成の下では、「許可」の問題と当該の土地を墓地としての関係は分離されて議論される、「許可」は公法上の問題として、墓地とその墓地を利用する使用者との関係は私法関係として、両者はそれぞれに分離されて論じられることになる。吉田久は、墓地として管轄官庁から墓地として使用する「許可」を受けたから当該の土地に墓地所有権が成立していると論じているが、この管轄官庁と墓地所有権の関係はとりあえず背後に退き、墓地と使用者との関係は純粋な私法関係として議論することになる*1

 この場合、許可は受けていない墓地(無許可墓地)については、墓地所有権や墓地使用権は成立するのだろうか。この点に焦点を当てた明確な議論はないように思われる。しかし、墓地埋葬法成立以前から存続している墓地であれば、慣習法上の墓地所有権あるいは墓地使用権が構築されていると考えることができるかも知れない。とすれば、この慣習法上の権利はそのようなものであるかを議論するとするならば、墓地所有権や使用権を位置づけてきた多数説の関心事であったように*2、近代法的な墓地法が形成される以前のことを念頭におきながら、墓地所有権・墓地使用権が歴史的にどのように形成されたかということを考えることになる。今日に議論が、それぞれの墓地の歴史的な沿革に基づいて、近代法的な法概念を駆使してその権利関係の違いを説明しようとすることになる。すなわち、墓地使用権は物権的であるとか(山形地裁昭和39年2月26日)、債権的なあるとか(仙台高裁昭和39年11月16日)、という議論はその権利の沿革に基づいた議論である。

 もちろん、慣習法上の権利を主張したとしても、「無許可墓地」であるかぎり墓地使用の正当性が確保される訳ではない。現実には、墓地の使用と関連して、公法上の「許可」には二種類の許可が必要となる。墓地の設置が合法的に「許可」されたものであること、第二は死者を埋葬・埋葬するとき、合法的に許可をえていることである。前者は墓地埋葬法10条1項に基づく許可であり、後者は墓地埋葬法5条に基づく「許可」であり、現実の墓地の利用、つまり墓地使用権の行使についてこの二つの許可の上に成り立っているのである。この二つの「許可」の法的性格は同じものではなく、前者は,既に述べたように、「特許」的な性格を持つ墓地経営者に与えられる「許可」であり、後者は「埋葬義務者」に対して与えられる許可であり、前述の行政法上の一般的な「許可」に該当するものであり、前者の「許可」に関して慣習法上墓地であると主張したとしても、後者については五5条違反に関しての弁明にはならないであろう。

  墓地使用権の法的性格

 現行の墓地埋葬法を前提とする限り、墓地を使用する権利=墓地使用権は、行政官庁から墓地経営者に付与された許可(=権限)に基づいて、墓地経営者が使用者に与えた墓地使用の「権利」を与えたれたもの、と位置づけることができる。通常、墓地使用権は墓地の一区画を使用する権利とされることが多いが(狭義)*3、具体的にその権利の内容は契約によって決められる。また、墓地使用権は、一般に公法上の権限をもつ墓地経営者が墓地使用者に付与するものであり、人(経営者)が人(使用者)に対して付与するものであって、その土地(墓地)に対して与えるものではない。従って、墓地経営者が変更する場合は、新しい墓地経営者が公法上の許可を受けた上で、人(使用者)に墓地使用の権利を付与することが必要である。

 「無許可墓地」の墓地使用権について、慣習法上の墓地使用権が認められるという解釈を行ったとしても、墓地使用権を付与する法的権限をもつ墓地経営者がいないのであるから、その使用権は私法上のものに過ぎずであり、フィクショナルなものにならざるを得ない。

 つまり、墓地経営者と墓地使用者の関係は、墓地使用権の付与が公法上認められた存在であるから、純粋な私法上の関係とは言えない。一般に、墓地経営者と墓地使用者の間で、自由競争に基づく契約関係が成立するとは言えないだろう。墓地を使用したい人は、墓地使用権を付与できる公法上の許可を受けた墓地経営者からの使用権の付与が必要であるあるから、墓地経営者は一種独占的な契約者として関係に登場する。ここでは、一方の契約当事者が公法上の特権を持った契約当事者として登場し、もう一方の当事者は否応なく特権を持った当事者と契約をしなくてはならないので、墓地の使用者はつねに弱者の立場に立たされることになる*4

 このような観点からも、墓地使用者の地位を法的に保護する必要があるだろう。ここで「墓地使用者」という場合、これまでは民法第897条における祭祀承継者の存在を前提に考えてきた。しかし、その墳墓=墓地に納骨されるのはかつて墓地使用者であった死者であって、祭祀承継者ではない、現行の民法は、〈家〉的慣行を前提として死者を祭祀承継者(アトツギ)が守ることを前提として、アトツギである祭祀承継者に死者の尊厳性を踏まえてその遺骨を保護するために墓地使用権を容認するという理論構成を前提とするのが普通であるが、これでは祭祀承継者(アトツギ)がいない死者は墓地に「埋葬」されることがないことになる。 実際に、祭祀承継者がいなくなると、管理料の不払いによりその墓地使用の契約が解除され、墓地経営者はその墳墓を無縁として改葬できる公法上の権利が墓地経営者に容認されている。

 墓地使用は「永代」使用であることを原則としてその権利が付与されるが、現実には承継者がいなくなることにより、「永代」使用の枠組みは有効ではなくなるのである。このように、墓地使用の権利はきわめて不安定であることといわなければならない。この墓地使用者の地位が不安定であることを考慮し、墓地経営者に対して一方的な契約解除ができない仕組みを構築すべきではないだろうか。つまり、墓地経営者が墓地使用権を付与する権利を公法上与えられているのであるか、墓地の使用者にも墓地経営者の「契約自由の原則」を制限して、墓地使用者の権利を守り、墓地経営者に契約解除の実質的な制限を加えることが望ましい、と思われる。

 もちろん、墓地使用の問題は、墓地や「埋葬」をめぐる特殊な事情が潜在している。墓地使用契約を解除されたとき、現実問題として墓石(墳墓)と遺骨が残されることになる。現行法では墓石は財物として民法上の保護を受けるのに対し、遺骨については無縁改葬が容認されると、その遺骨の行方については法律上の規定がないことである(遺骨がゴミとして処理されるか、遺失物として処理されるか、議論の余地はあるが)。いずれにせよ、墓地経営者はこの遺骨を無主物として自由に処分できることになるが、これを墓地経営者の自由に委ねることは公序良俗に反するのではないだろうか。

 この問題について、吉田久の議論が参考になる。吉田久は、「右条例[東京都霊園使用条例-引用者]は無縁墳墓の改葬について、知事は一定の場所になすべき旨を規定するから、知事はその改葬につき墳墓を安置すべき替え地の提供を必要とし、その提供義務が生じる。そうして、この提供義務は従来存続していた墓地使用権の永久性の一つの現れとして観ずべきである」と、論じている*5。無縁となった遺骨の安置場所としての施設あるいは土地の提供義務を条例*6から導き出したのである。このような提供義務について、吉田が指摘しているように、「従来存続していた墓地使用権の永久性の一つの現れ」として墓地経営者がその責任を負うべき義務であると考えるべきであろう。

 このような解釈は、東京都の「東京都の霊園条例」から導きだされたものであるが、このような墓地使用の在り方は,地域の条例から基礎付けられるようになものではなく、墓地埋葬法のもつ根源的な理念として、死者の尊厳性や保護という「埋葬義務」の観点からとして規定されるべきである、と思う。

。においてもを踏まえてそれぞれの

 しかし、この権利関係は前近代的な関係を近代法に当てはめようとするものであり、歴史的にはいくつかの問題をかかえることになる。

 もともと。都道府県や市町村による墓地所有という枠組みは、もともと明治以降の廃藩置県や町村制の成立とともにできたものであり、


*1 この「許可」「特許」「認可」については、宇賀克也『行政法概説Ⅰ』(第5版)[有斐閣2013]82頁以下)。また、本研究会でも、重本達也氏は墓地新設の許可は「特許」的な性格を持つとしている。(●●頁))

*2 たとえば、本研究会における竹内康博氏の報告のように、明治期の墓地埋葬法制定前には「墓地」が存在していたことから出発し、理論構築をおこなっている。(○●頁以下))

*3 私は、狭義の墓地使用権で充分であるかはそう考えている訳ではない。根本的には、使用者(死者)にはその墓地に「埋葬」される権利が保障されるべきであると考えている。後に述べるように、吉田久が東京都の条例を踏まえて論じるように、墓地使用者(死者)がその墓地に永久に「埋葬」されることを保障することが、墓地使用権の本質(原則)である必要があり、それが墓地経営者の責任でなければならない、と考えている。

*4 民法学者による墓地使用権の位置づけは、民法上の枠組みだけを前提に議論していることである。つまり、私権としての所有権を中心に、伝統的な墓地を「物権的」と位置づけ、近代的な墓地使用権を再建的な傾向があると位置づける。伝統的な墓地、墓地埋葬法制定前の墓地を「強い」権利で位置づけようとするのは、もともと墓地の取得は所有を意味したものであり、また墓地という特殊な性格を権利構成には反映しようとした結果であろうと推察できる。このような趣旨は理解できるとしても、この権利構成が現実の墓地の在り方を歪めたものにしているように私には思える。つまり、この民法上の議論は、結果的に許可を得ていない墓地の使用を事実上容認しることに繋がり、現在に至るまで無許可墓地をそのまま放置する原因を作っていることに繋がり、墓地行政の在り方にも混乱をもたらす大きな要因にもなっている、と考えるからである。もちろん、私が主張しているのは、墓地に対しての行政の優越なのでない。全ての死者に墓地に「埋葬」される権利が保障されること(このことが「埋葬義務」の問題である)を前提に、墓地の使用権の在り方を議論すべきであると言うことである、

*5 吉田久『墓地所有権と墓地使用権』[新生社、一九六二]五五頁。なお、現在では東京都霊園使用条例は改正され、東京都霊園条例第二十二条に「知事は、埋蔵施設又は収蔵施設の使用者が死亡し、その使用者の地位を承継する者がいないとき、又は第二十条第一項若しくは前条の規定により許可が取り消され、若しくは使用期間が満了した場合に改葬する者がいないときは、当該施設に埋葬され、埋蔵され、又は収蔵されている遺骨を別に定める場所に改葬する」と規定されている(平七条例六〇・一部改正)。

*6 東京都は「墓地等の構造設備及び管理の基準等に関する条例」において次のように規定する。「第十五条 墓地又は納骨堂の管理者は、無縁の焼骨等を、次に定めるところにより保管し、又は埋葬しなければならない。(一)無縁の焼骨を発掘し、又は収容したときは、一体ごとに陶器等不朽性の容器に納め、その容器には、死亡者の氏名、死亡年月日及び改葬年月日その他必要な事項を記載しておくこと。(二)無縁の遺体又は遺骨(焼骨を除く。)を発掘したときは、無縁墳墓に埋葬するか、又は火葬に付した後、前号に定めるところにより保管すること」と。無縁墳墓の遺骨も保管することを定めているのである。私は、墳墓としての合葬式共同墓はこのような無縁になった遺骨の管理のあり方を示す一つの方法と考えている。