社会調査(報告書)

1. 茨城県東茨城郡茨城町 主に農家相続

昭和50(1975)年11月22日~26日~昭和51年

この調査が最初の調査です。学生達は茨城町の給食センター寝泊まりし、自炊をしました。

  • 『創造』第5号(1976) 「〈都市化〉されつつある農村における農家相続

2. 茨城県久慈郡里美村大中・折橋・徳田・里川 農家相続・民俗・社会調査

昭和52(1977)年~昭和55(1980)年

茨城町の都市近郊と比較するために行ったものでしたが、この調査を通じて私自身が民俗調査に目覚めていきます。この調査以降、沖縄調査に至るまで、盟友青嶋敏(愛知教育大学)・竹内康博(愛媛大学)がこの調査に参加してくれた。

  • 『創造』第7号(1978) 「過疎農山村と農家相続=里美村における実態調査報告」号(P.13-P.40)
  • 『創造』9号(1980)「北関東地方における村落と家族」ー茨城県久慈郡里美村での実態調査報告 P.45-P.67
  • 「姉家督相続の一考察」『法社会学31号』(1979)p.117-p.140
  • 「北関東地方の一村落における隠居制と相続制」『家族史研究』創刊号(1980) p.218-p.251
  • 「隠居制と家-茨城県北部の隠居慣行を中心として」竹田旦編『民俗学の進展と課題』国書刊行会(1990)

3. 静岡県賀茂郡河津町逆川 伊豆の民俗と家族

昭和56(1981)年

法社会学インターゼミに伊豆の大鍋で調査を行い、その勢いで「逆川」を知りました。多くの区有文書が残されていて、「村落構造と村規約」は盟友青嶋敏教授(愛知教育大学)と資料整理を行ったものです。

  • 『創造』11号(1982) 「伊豆地方の村落と家族-静岡県賀茂郡河津町逆川の事例」P.50-P.73
  • 「村落構造と村規約(近代)ー資料」『茨城キリスト教短期大学紀要』21号(1981)

4. 秋田県河辺郡雄和町水沢 同族集団と総墓

昭和57年(1982)~

秋田調査は私にとって意味のなる調査でした。お墓を本格的に勉強するきっかけになりました。

  • 〇茨城キリスト教短期大学紀25号(昭和60年) 「秋田県における同族・総墓・村落ー河辺郡雄和町の事例を中心として」  ⇒ 〇「秋田における同族・総墓・村落-河辺郡雄和町の事例を中心に」義江明子編『日本家族史論集7 親族と祖先』吉川弘文館(2002)

5. 茨城県水海道市大輪町 民俗・社会調査

昭和58(1983)年8月7日~11日

今はなき青山学院大学の平松紘教授と一緒に行った調査です。総勢50人を超える調査で、平松先生が「あすなろの里」で調理担当として頑張ってくれました。

  • 『創造』第13号(1984) 「茨城県南部の村落と家族ー水海道市大輪町実態調査報告」)P.83-P.129

6. 石川県珠洲市三崎町大屋(能登半島)

昭和59(1984)年8月17日~21日

秋田の同族集団が一つの墳墓を共有する形態から、一つの村が一つの墳墓を共有する形態へと。調査が展開していきます。

  • 『創造』第14号(1985) 「奥能登地方の民俗と社会ー石川県珠洲市三崎町大屋地区調査中間報告」

7. 長野県伊那郡清内路村ー清内路村の社会構造と墓制

昭和60(1985)年~昭和61(1986)年

この調査は、平松先生の留学中に平松ゼミを引き継ぎ、合同調査になった。これも50名を超える学生の調査で、2年間連続で調査を行った。この調査は1冊の書物まとめた。

  • 『出作りの里-その民俗と歴史』(新葉社)

8. 秋田県仙北郡田沢湖町田沢 民俗・社会調査

昭和62(1987)年8月16日~18日・昭和63(1988)年~

この調査は、法社会学インターゼミで行った田沢湖調査の延長線上で企画されたもので、墓イワイと称する墓前祭を見学した。

  • 『創造』第17号(1988) 「田沢の民俗と社会ー秋田県仙北区郡田沢湖町調査」
  • 「田沢の民俗」『北方風土』第21号(1990 p.5-p.65

9. 都祁村の民俗と社会(宮座・両墓制)・家族

昭和64(1989)年~平成9(1997)年

この時期から9年にわたって都祁村での調査を行うことにある。学生達は「いこいの村 大和高原」で宿泊した。当時都祁村を構成する半分くらいの村々を廻った。

10. 三重県志摩郡大王町船越 民俗と社会

平成8(1996)~平成9(1997)年

磐城=常陸致型とは異なる隠居習俗の調査。当時「妻問いの習俗」を聞くことができた。

11. 新潟県岩船郡郡関川町

平成10(1998)年8月28日~9月2日~平成11年

新潟県での初めての調査。

12. 沖縄県読谷村楚辺 問中制度と墓制

平成12(2000)年~平成20(平成8)年

沖縄県での調査。楚辺で一つの門中全体の家系図を作成し、楚辺の全ての墓の配置図を作成した。楚辺の調査も9年に及ぶものであり、いずれ学生の個別報告を整理したいと思う。このころから学生達の様子から、調査の継続が難しくなってきた。

  • 「.門中と門中墓-読谷村楚辺の事例を中心に」『民俗文化研究』6号(2005)