第一部
無縁墳墓についての研究
-無縁墳墓改葬公告の分析-
1 研究目的
わが国の墓地や墳墓の承継は、民法第 897 条が前提としているように、家族=子孫(アトツギ)によって承継されることが普通である。しかし、少子化やそれに伴う家族構造および意識の変化のなかで、墓地や墳墓を子孫によって承継されることが困難となり、「無縁墳墓」の増加が深刻な社会問題となってきた。もちろん、「無縁墳墓」増加の問題は今に始まったものではなく、これまでも人口の移動のなかでも墳墓の無縁化がおこり、明治末期の資本主義の展開のなかでもその問題点が指摘されてきた。しかし、今日の、特に昭和 49 年以降の急激な少子化と高齢化の進行が、この慣行=システムを事実上崩壊させることになる。すなわち、少子化は個々の家族にアトツギの確保を不可能にし、墓の承継を家族=子孫に委ねることを事実上困難にさせている。つまり、家意識も希薄になり、また人口の移動が激しい大都市あるいは急激な人口減を招いた過疎地域においても墳墓の「承継者がいないこと」=墳墓の無縁化の問題は深刻であったが、少子化の進行は「祖先祭祀」を前提としたわが国の死者祭祀の伝統の基盤を揺るがし、今やそれに変わるシステムを必要としている。
戦後の、高度成長期における墓地問題は、墓地不足に焦点があてられた。しかし、近年では「承継者がいないこと」が重要な墓地問題の一つとして登場してきた。また、この10年の間に、大都市を中心としてアトツギの存在を前提としない 1,000 人から 5,000人を合葬するような共同墓(いわゆる「永代供養墓」)という新しい墳墓の形態が提案され、現在では首都圏を中心に 250 基を超える共同墓が販売されるようになった。
現在、墓地・墳墓、その承継のあり方が大きく変貌しようとしている。平成 11 年 5 月に「墓地、埋葬等に関する法律」の施行規則が改正され、官報によって無縁墳墓の改葬が公告されるようになって、墓地の実際の使用者の権利が守られないまま無縁改葬の簡素化が始まった。
本研究においては、(1)この無縁改葬公告の分析を通じて無縁改葬の実態にせまりながら、(2)現実の墓地において「無縁」あるいは現実にはその使用者を確認することができない墳墓がどの程度存在するのか、(3)人々は「墳墓の無縁化」にどのように対応しようとしているのか、(4)現在の新しいシステムの模索のなかにどのような問題が含まれるのか、これらの問題を実証的に明らかにすることを研究目的とする。
日本の近代家族が現在に至るまで祖先祭祀の機能を組み込んだきたことを考えるならば、少子化によるこの変化の実証的研究は日本家族の大きな変容を写し出すことになる。
2 無縁墳墓改葬の法制度
2-1 「無縁墳墓」の概念
「無縁仏」とは「祀り手のいない死者」ということになるのだろうが、近世以降「無縁」は二つのカテゴリーに分類され、二重の意味で使われてきた*1。第一は、「帰るべき家の遊鬼」つまり行き倒れ・漂流死体・災害時の罹災者等の身元不明人である。民俗学では「ミサキ」が呼ばれる無縁仏がこれにあたる。しかし、この種の「無縁」概念はおそらく世界中どこにでもあるのだろう。
墓地に限定して言うならば、我が国でも多くのムラの中で「行き倒れ」等の身元不明者を埋葬する墓地を設けていたし、近代になると、国が「行旅病人及行旅死亡人取扱法」(明治 32 年法律第 93 号)を定め、行旅死亡人[身元不明の死者を指す]の埋葬について規定した(第七条 1 行旅死亡人アルトキハ其ノ所在地市町村ハ其ノ状況相貌遺留物件其ノ他本人ノ認識ニ必要ナル事項ヲ記録シタル後其ノ死体ノ埋葬又ハ火葬ヲ為スヘシ。2 墓地若ハ火葬場ノ管理者ハ本条ノ埋葬又ハ火葬ヲ拒ムコトヲ得ス)。
行旅死亡人(身元不明者)の埋葬は、市町村に埋葬の義務を負わせている。オーストリア・ウィーンではこのような身元不明者を埋葬する専用墓地がある(写真1)。かつての日本の伝統的なムラ(村落共同体)でも専用の墓地を設けて埋葬した例を、奈良県山辺郡都祁村で見たことがある。住民達が使う墓地(埋め墓)に隣接して身元不明者を埋葬する墓地があった。可視的には「無縁墓地」と住民の墓地の境界ははっきりしないが、帳簿上は明確に区別して記録されていた。
第二は「祭る子孫がいない霊」つまり独身の男女・出戻りの女性・子どもがいないオジ・オバの血縁霊である。基本的には家に規定された概念である。この「無縁」概念の背後には、家社会のなかで、どのように生きることが生を全うすることであり、どのように生きることが生を全うしないのか、その姿が隠されている。これまで多くの人々が「無縁」になる恐怖から解放されるために、祭祀承継者の確保に努めてきたのである。
幼児の墓地については、分類が難しい。幼児の埋葬は、第二の分類の中で埋葬されるというより、第一の分類に近い形態で祀られるケースが多い。たとえば、近畿地方では「子墓」と称して、一般の墓地とは区分して別の場所の一角に設けているケースが多い。ヨーロッパでも、墓地の一角を利用して幼児用墓地(子墓)を設けている。「罪なき嬰児の墓地」は教会に葬ることができない洗礼前の幼児の墓地であるが、この伝統はヨーロッパ諸国で現代まで続いている。
身元不明者の墓と子墓は、墓地が一般の墓地から分離されるという意味で、第二に分類の死者の墓地とは異なっている。身元不明者も幼児も共同体(Gemeinde)の構成員ではないから、別の場所に埋葬されることになる。とは言え、身元不明者と幼児が同じ場所に埋葬されることもない。その意味では、身元不明者の墓地と幼児の墓地ではその墓のもつ意味は異なっていて、第一のカテゴリーからも区別される*2。ただ、子墓は、日本社会では次第に第二のカテゴリーに組み込まれてくるようになる*3。近世末期から近代にかけて、言わば家族の親密性が高まってくると、幼児や子どもの死に対して家族は敏感に反応し、これを家族問題として捉えるようになり、幼児や子どもの供養や建墓に熱心になってくる。
しかし、「無縁墳墓」という場合の「無縁」概念は、このような身元不明者や幼児の死者を無縁という意味とは異なっている。また、第二に分類された家の正式の構成員と見なされなかった独身の男女・出戻りの女性・子どもがいないオジ・オバ達も自らを祭祀する子孫を持たなかったので「無縁」と呼ばれたが、「無縁墳墓」という場合、彼らをさして「無縁」と呼んでいる訳ではない。家社会の中ではオジ(オンジ)・オバ(オンバ)と呼ばれ、一家を構えることなく一生を過ごす人がいた。このような人々は子どもを持たないことが多く、子どもやその直系の子孫が祭祀を受け継いでいくことはなかった。もっともこれらの人々が祭祀の対象にならなかった訳ではなかった。その家の当主夫婦の墳墓の脇に小さな墳墓が設けられ、たとえその家の祭祀の中心にならなくてもその家の子孫によって祀られていた。したがって、彼らの墳墓がただちに「無縁墳墓」になるという訳ではない。
「無縁墳墓」の「無縁」とはたしかに祀り手のいない死者ではあるが、正確にはかつて祀り手がいたが、現在は祀り手がいなくなった死者のことであり、いわゆる「祭祀の承継者」がいなくなった墳墓である。一般には、無縁墳墓とは葬られた死者を弔うべき縁故者がいなくなった墳墓と定義される(最高裁判所昭和 38 年 7 月 30 日決定)。奇妙な話ではあるが、もともと無縁である墳墓はそれが市町村に管理下におかれている限り改葬されることはない*4。しかし、もともと有縁の墳墓であってその承継者がいなくなった時に、無縁墳墓として改葬されるのである。この意味では、「無縁墳墓」の「無縁」概念はきわめて特殊な法律上の概念であると位置づけることができるだろう。では、なぜこのように特殊な法律上の概念ができあがってきたのか、若干の言及を加えておこう。
写真1 無縁墓地(ウィーン・オーストリア)
写真2 子墓(ハイデルベルク・ドイツ)
2-2 無縁墳墓改葬の制度
2-2-1 明治期の「無縁墳墓」問題
明治 20 年 10 月、「無縁墳墓」について次の記事がでてくる(ともに、『東京市史稿 帝
都二六』二四一頁を参照)。
(A)「元来府下墓地ノ如キハ他府県卜相異り現今在京致サヽルモノヽ墳墓モ夥多ニシテ、将来亦住居人ノ転換甚シキハ申迄モ無之、故ニ共葬墓地卜為シ、将来誰彼ヲ論セス埋葬差支ナカラシメサレハ後年非常ニ面積ヲ増加セサルヲ得サル場合ニ可相成、又市区改正等ノ事業ヲ施行スルニ當テハ市中ニ在ル墓地ハ之ヲ取除キ、以テ道路ヲ広メ且市区ノ対面ヲ修飾セサル可ラス」(東京府知事から内務大臣宛の伺い・明治 20年 10 月 20 日受出)
(B)「元来ソレ狭キヲ慮ルノ際無縁墓所ノ増加スルハ世事ノ止ムヘカラサル所ナルニ、之ヲ除去スルコト能ハサルハ益々墓地ノ狭キヲ感スル最中ニ、近来ハ一般ノ人情市外ノ墓地ニ做テ廣濶ノ地ヲ望ミ候ヘトモ・・・国ノ為メ寺ノ為メ不経済ナルハ知リナカラモ之ヲ看過セサルヲ得ス。」(寺院総代(住職)から知事宛の「旧寺院境内墓地ニ付伺」。
二つの文はともに無縁墳墓を扱っている。(A)東京府下は、移転のために無縁(このことばは使っていないが)になっている墳墓が多く、将来もその可能性があるので墓地は原則として「共葬墓地」であるべきだとしている。(B)無縁墓所になるのはやむを得ないが、そのために墓地が狭くなっている。人は広い墓地を求める傾向があり、不経済であるが寺には何の権力もない、と続く。この二つの文章は次のように関連した内容を持っている。
(B)の文は、昔から寺院の墓地は檀家専用の墓地として利用してきたと述べた後、これまで共葬墓地として位置づけてきたものを寺院の専用の墓地にして地券を下付せよと要望している。次のように述べる。「墓地ノ中維新後一般共葬地同様ニ変目相成侯向ヲ此度改テ各寺院住職及ヒ檀家共有ノ墓地即チ専有墓地トナシ、且ツ其寺院名受ノ地券御下附有レ之侯様願度儀ニ御座候。右特別ノ御詮議ヲ以テ至急何分ノ御指令被下度奉請願候也」。つまり、お寺が使っている寺院専用墓地は無縁墳墓が増えて狭くなっている。もともと上知した墓地は現在では「共葬墓地」になっているが、本来その「共葬墓地」はお寺の専用墓地であったので、この墓地をお寺に返してお寺名義の地券を発行して欲しいという要望を東京府知事宛に各宗派の寺院の代表者が東京府知事宛に出したものである。
これに対して、(A)は(B)に対する回答のために内務大臣宛に東京府知事から伺書を出したものである。(A)は、人の移動や都市計画の観点から墓地の移転の問題が生じてくるのであるから、寺院側の言い分は聞き届け難しと論じている。ここで興味深いのは、双方が「無縁墳墓」が多くなってきていることを論じ、東京都はそれらを整備するためには墓地を官有地=公有地として「共葬墓地」のまま管理すべきだとし、寺院側は無縁墳墓が多くなって墓地が手狭になってきたので上知した土地を戻すように主張していることである。この両者の論争は、明治 24(1891)年 11 月に「元寺院境内共葬墓地使用規則」を制定され「共葬墓地」として確定されるが、それ以降も寺院と東京府は激しくぶつかり合うことになる。しかし、ここではこれ以上の言及はしないが、明治四年の上知令・地租改正に遡るこの問題の展開を『東京百年史』の「元寺院境内の共同墓地」を引用してその説明をとりあえず補っておくことにしたい*5。
市内各寺院の境内に設けられた共葬墓地は寺領であったが明治六年および七年の太政官布告によって官有地に編入された。それまで寺院の境内と墓地との境が明瞭でなかったが明治八年(一八七五)社寺境内外取調規則の公布によって、境界ははっきりと定まり、つづいて地所処分規則の公布によって官有と民有の境が判然とし、それ以後官有地内の墓地区域は人民の共有地となった。それ以来寺院境内墓地は各区の経営に移り、さらに明治二十二年には市の所属になった。そして各寺院はこれまでの慣行と便宜上単にその管理をなすに過ぎなかった。やがて大正時代となって大都市計画樹立の結果、寺院境内墓地は特に由緒あるもののほかは全部外に移転することになった。
大正十二年(一九二三)四月に開設された多摩墓地(北多摩郡多摩村)、四三万八五二〇平方メートルの広大なそれは、市内に散在する寺院境内墓地を整理移転する目的で開設されたもので、公園的装備を施した近代的墓地となるのである。
寺院自ら墓地を郊外に求めて改葬する場合は旧墓地跡を無償に下付することその他移転実施に必要な改葬規則を制定し移転実現につとめた。
この引用文でも、明治 20 年代において、すでに無縁墳墓の問題が社会問題になりつつあることがわかる。しかし、「無縁」と言うことが仏教関係者の中で使われていたとしても行政担当者が使っていた訳ではない。行政サイドの(A)の文書には「無縁」ということばは出てこない。そして、旧墓地埋葬法(明治 17 年)第 5 条に「改葬」に関する規定があるが、一般的には墓地の移転を念頭においたものであり、もちろん「無縁墳墓」ということばも出てこない。
明治 22 年、「元寺院境内共葬墓地」は東京市の管轄となり、明治 24 年に「共葬墓地使用規則」(東京市規則第三号)および「元寺院境内共葬墓地使用規則」(同、第五号)を制定し、元寺院境内共葬墓地を「共葬墓地」(特定の宗派に属さない墓地)として東京市の規則の管理下においた。当時の東京市の町村の共有墓地*6(この大半は「元寺院境内共葬墓地」であったと思われる)は、面積 325,638 坪 896、筆数では 1.140 筆*7 となっている。
と当時に、「市区改正設計」(明治 22 年 5 月、東京府告示第 37 号)において「市街ニ接近散在スル千坪未満ノ小墓地ハ私有墓地其ノ他特別ノ由緒アル墓地ヲ除ク外漸次他ニ移転セシムルモノトス」として市街地の墓地の移転構想を示している。この墓地の移転構造は、明治 36 年の「市区新改正設計」でも「東京市内ニ散在スル墓地ハ特別ノ由緒アルモノノ外漸次他ニ移転セシムルモノトス」として再び言及されている。移転の対象となった墓地は「元寺院境内共葬墓地」であるが、おそらく、墓地の移転計画はほとんど進展しなかったものと思われる。
その理由の一つは、すでに触れた東京府と寺院との争いである。ここでの問題は、近代の墓地をめぐる土地問題や「墓地と宗教宗教」をめぐる根本的な問題が横たわっており、別の機会に改めて論じることにしたい。ここでは、寺院側の強硬な態度に対して東京府の対応しなければならなかったし、明治維新以降の土地政策全般に関わる問題であったことだけを確認しておこう。
また、市街地からの小規模墓地の移転といっても移転先が明確であった訳ではなかった。その意味では、移転先が確保される大正 12 年の多磨墓地の開園まで、墓地移転の本格的な展開は待たなければならなかった。前述の『東京百年史』(前掲)では、多磨墓地は「市内に散在する寺院境内墓地を整理移転する目的で開設された」とあり、多磨墓地の開設は長年の都市計画の延長線上に開設された墓地であったということができる。
2-2 無縁墳墓の法制度の始まり
無縁改葬が法制度として登場するのは、私が知る限り、大正 13(1924)年の「納骨堂
取締規則」第 12 条「管理ハ無縁ノ遺骨ヲ合納セムトスルトキハ其ノ事由ヲ詳記シテ所轄
警察官署ノ許可ヲウクヘシ」との規定がある。おそらくはここではじめて法令の中に「無
縁」ということばが用いられたのではないだろうか。無縁墳墓の改葬規定はそれからしば
らくして規定されることになる。すなわち、昭和7(1932)年 5 月 1 日の「墓地及埋葬取締細則」(警視庁令第 33 号)において、詳細な無縁墳墓の改葬手続きが規定された(縁故者の照会・日刊新聞五種に三日以上・現場の写真)。このように見ると、大正末期から昭
和初期にかけて、無縁墳墓の改葬手続きが法制度として整えられたと言って良いだろう。
これに至る過程は、研究らしい研究は存在せず、それほど明確になっている訳ではない。
すでに、①東京の市街地ではかなり量の無縁墳墓があって、社会問題になっていたこと、
②東京市は小規模な墓地(主に「元寺院境内共葬墓地」)の移転を考えていたこと、③大
正 12 年には多磨霊園が開園し、移転先の墓地が確保できるようになったこと、について
触れてきた。これに加えて、大正 12 年 9 月 1 日に関東大震災が起こり、14 万人余の人々が亡くなった。これを機会に、墓地の移転計画は本格的に進められていく。
当時、次のような新聞記事が掲載されている*8。また、この時にできた「東京市墓地改
葬規則」と続けて引用しておこう。
○市内の墓地を追々無くする(大正 13 年 7 月 23 日、大阪朝日)
二十一日の東京市参事会に、東京市墓地改葬規則と云ふのが提案された、其の規則に依ると、元寺院境内に在った東京市の墳墓は、大正十八年迄に市外又は、納骨堂に改葬しなければならぬ、然し相当の事由あるものに限つて市長の承認を受け、所在地の墳墓を合併する事は出来る、それから史蹟其他特別の由緒あるものは、市長に於て存続する事がある、改葬費用は、改葬者が負担しなければならぬ、指定の期間内に改葬を了した場合、市参事会の議決を経て、其跡地は無償で下付される、墳墓を市外へ移す為に、寺院の移転を用する場合には、市営墓地附近の市有地を相当代価で特売する、それから市の共葬墓地以外、寺院所有地の個々の墳墓を改葬する場合も、比の規則を準用する事になつてゐる。
○東京市墓地改葬規則(大正 14 年 5 月 12 日・市規則 41 号)*9
第一条 本市元寺院境内共葬墓地ノ墳墓ハ大正十七年十二月末日迄ニ本規則ノ定ムル所ニ依り之ヲ改葬セシムルモノトス 但シ史蹟其ノ他特別ノ由緒アルモノハ市長之ヲ存置セシムルコトアルヘシ
第二条 墳墓ノ改葬先ハ市外又ハ納骨堂若ハ市長ノ承認スル特殊ノ納骨設備タルコトヲ要ス 但シ相当ノ事由アルモノハ市長ノ承認ヲ受ケ市内所在ノ墓地ニ整理スルコトヲ得
第三条 墳墓ノ改葬ハ一地番内所在ノモノ全部クルコトヲ要ス 但シ市長相当ノ事由アリト認ムル場合ニ於テハ其ノー部ヲ改葬スルコトヲ得
第四条 第一条ニ定ムル期間内ニ墳墓ノ改葬ヲ了シタル場合ニ於テハ市参事会ノ議決ヲ経其ノ跡地ヲ無償ニテ下付ス
第五条 墳墓ヲ改葬シ跡地ノ無償下付ヲ受ケムトスル者ハ予メ市長ノ認可ヲ受クヘシ
第六条 前条ニ依リ認可ヲ受ケタル者墳墓一部ノ改葬ヲ了シタル場合ニ於テ相当ノ事由アルトキハ
土地ノ形状ニ依リ其ノ部分ヲ無償下付スルコトアルヘシ
第七条 本規則ニ依り墳墓ヲ市外ニ改葬スル為必要アルトキハ市長本市墓地内ニ一定ノ区劃ヲ設定スルコトヲ得
前項ニ依り区劃、設定シタル場合ニ於テ其ノ使用ニ関シテハ本市墓地使用条例ヲ適用ス
前二項ノ規定ハ本市元寺院境内共葬墓地以外ノ寺院所有墓地ノ墳墓ヲ市外ノ本市墓地ニ改葬スル場合ニ於テ之ヲ準用ス
附則
第八条 本規則ハ発布ノ日ヨリ之ヲ施行ス
第九条 元寺院境内共葬墓地墳墓改葬規則ハ之ヲ廃止ス
第十条 従前ノ規則ニ依り本市元寺院境内共葬墓地所在ノ墳墓改葬跡地無償下付ニ付市長ノ承認ヲ受ケクルモノハ本規則ニ依り市長ノ認可ヲ受ケタルモノト看做ス
この「東京市墓地改葬規則」は、墓地移転を念頭においたもので、個別的な改葬や無縁
墳墓を念頭においたものではない。そして、改装費用は改葬者の負担で行うとされている
が、「元寺院境内共葬墓地」を改葬したときには、その跡地は無償で払い下げるいうもの
である。明治 20 年代に起こった東京府と寺院との墓地をめぐる対立を「無償の払い下げ
という」という形で決着をつけようとする姿勢をここに見ることができる。実際、この移
転が大規模に行われるのは、昭和 2 ~ 3 年になってからのことである。この時に 237 ヵ寺が墓地移転を行い、多くの寺院が「元寺院境内共葬墓地」を無償で払い下げを受けたもの
と思われる。この移転に関しては、墓地移転については大きく報道されたが、東京市民の
財産の無償の払い下げについては、当時の新聞でもほとんど注目されていない。
○お墓の時代化、掘ち返された仏の数ニ十三万(昭和 3 年 9 月 14 日、国民新開)
関東大震災後郊外に移転された墓地は、約十八万坪その所属関係寺院数二百三十七ケ寺、墓石の数三十三万余嵩、俗に三万三千三百三十三といふ三十三間堂の仏の数の約十倍を掘り返したわけ、さぞ、もろもろの仏は仰天した事であらうが、僅かの墓石を改葬すら面倒なのに、三十三萬とはよくも動かしたものだ、しかしこれも金のカ、復興局では約百五十萬円をこれらのお寺に支彿ったさうだ。全部郊外へ移転した寺は二三ケ寺、大部分は納骨堂式の一墓で済ませる特設墓地、いはゆる文化墓地に変わった。元は墓場の王様のやうに鋭然と構へていた大名の墓も、一塊の標石に過ぎなかつた平民の墓も、皆平等の特設墓地に納まつた、区画整理は資本主義の墓地に一大革命をもたらしたといふもの、宜なるかな富者も貴賓も仏となつては、皆同じ仏ではないか、お寺さんも区整にあつて余程モダンになつたと見え、おれの寺では伊太利のミラノの墓地を参考としてやつたの、やれドイツのライブチッヒの納骨堂に則ってやったのと、大分ハイカラがつてゐるから、将来三階建ての墓地なども出来るだらうとの事だ、古刹では浅草寺と肩を列べる橋場の総泉寺は、郊外志村に引越中であるが、神霊欠口渡の戯作を書いて、江戸っ子をアツと云はせた一代の江戸の才人風来山人平賀源内の墓も、志村に引っ越すとの事だ、内務省の史蹟保存会から、喧しく云はれるので、史蹟の墓地は住職の胸算用ばかりにオイソレと行かす、困り抜いてゐるさうだ、たとへば、「今朝死別生別を兼ぬ子は餓に泣く」と歌った梅田雲濱の墓(松葉町海禅寺)歌と俳句、戯作小説は勿論和漢学の大家であつた石川雅望の墓(黒船町榧寺)を初め伊能忠敬、谷文晃の墓(北清島町源空寺)亀田鵬斉の墓(今戸称福寺)小野蘭山の墓(田島町誓願寺)荷田在満の墓(高原町金龍寺)等々の史蹟墓地は、すつたもんだの揚句残るやうになつた、地口にもいふ「ビックリ下谷の広徳寺」の改葬で、ミイラその他の珍賓が出て来て、ほんとにビックリさせたが、まだビックりさせた寺では、下谷の寿永寺でたゞ一つの墓石から白骨が出初めて、それからそれへと続きとうとう附近一帯が白骨で埋まつてゐたといふ有様で、人夫達も恐くて手が出せなかつたと、これは安政の大地震で非業の最期を遂げた吉原の遊女だけを埋めたのださうだが、関東大震災の復興に際して、同様過去の災難の跡を眠の当り見るとは、織りなされた因縁ではないか、また浅草本壽寺では、天保年間の飢饉で倒れた一千七百五十霊を掘り出したさうだ。
墓地に無縁墳墓改葬がプログラムに乗り始めるのもこの頃ではなかったかと思われる。
細野雲外はこの時期の墓地の移転を次のように報告している*10。
大震災を契機として、東京市内の二百十七ケ寺の寺院がその所属墓地十八万坪の中にある墳墓を、北多摩の新墓地その他へ移挿したが、掘り起された有縁無縁の墓石数、実に三十三萬余を算された、然し次に掲げるやうな各寺院の墓地移転広告に基き、それぞれ移転手続きをなされた有縁の墓数は、全体の幾割であつたであらうか。著者の地元西宮市六湛寺の墓地移転が、昭和二年から五年に亘って行はれた際、移転された墳墓の数一万基の内、大凡その四割のものが無緑墓として、由緒あるものも、無名のものも、ゴツチャにして、一基の万霊塔下に埋設された事実から推定すると、三十三万基の三割約十万の墓石が、略から暗にその形体右を滅したのではないかと思われる。兎にも角にも、個人が偶人の為めに墓を建て個人に拠ってそれを守護すると云ふ、姑息な旧慣に引きづられてゐる問は、如何程金力や権勢に飽かして立派な墓を建ててみた処でそれは全て有縁から無線に、無縁から滅亡の間に葬り去られるまでゞあることを如実に立証してゐる、地下に眠った我等の祖先同胞が、数年数十年、百幾十年後に於てさへも斯くもむごたらしき非宗教的な取扱を受けなければならぬ結果を招来するやうな、昔からの慣習実相は、すべて我等も亦死後子孫から同様の取扱を受けなければならぬ報を暗示してゐるではないか、我等は最早や『個人の為めに個人が墓を建て、個人によつて守護する』と云ふ旧慣を全廃せねばならぬ、されば、墓の建立に関する従来の悪慣例を固守して寺や墓を建立しても、予測べからざる天変地異や、郡市計画や或は道路溝渠などの為め、必然的に無縁滅亡に帰するものであるから、こりや何とか改革しなけれぼならぬと云ふ自覚と印象を深刻ならしむる為め、次に震災後に於ける東京市内二百余ケ寺の墓地改葬の実情と、その広告の原文をそのまま特記して、世人の注意を喚起することにする。(以下略)
また、この文の中に出てくる移転の時の広告は昭和 2 年 5 月から 10 月の間に新聞紙上
に掲載されたという。その内容は次のようなものである。
今般区画整理に付、左記三十五寺寺院管理墓地は、路線又は更地の焉め、一部若くは全
部改葬の上、特設墓地、納骨堂、郊外移転等、各寺の計画に依り整理上改葬の必要有之候
條、檀徒又は縁故者にて住所お知らせ無き方は、昭和二年九月十一日迄に御申出被下度、
萬一日迄に御申出無之時は、共筋の許可を得管理者に於て、適宜処理可致右広告候
以下寺院名など
「市区改正設計」によって計画された墓地の移転計画は、関東大震災をきっかけにして
本格的な移転計画が実施に移されることになり、この昭和 2 年の墓地の移転のなかで実現
される運びになった。これは寺院にとって見れば、この計画は上知された墓地が無償で払
い下げられるものであったし、自分達が管理してきた墓地の無縁墳墓が一斉に改葬でき、
この問題も一緒に解決するものであった。
この時期、都市化の中で大阪・神戸・名古屋等都市部を中心として土地の区画整理とと
もに墓地の整備が行われている。この墓地の整備は、必然的に無縁墳墓の改葬をともなう
ことになる。このような都市計画・土地区画整理事業が無縁墳墓の改葬手続きの整備に繋
がったものと思われる。また、昭和のはじめに無縁墳墓の改葬が実際に行われている。昭
和 2 年には橋場墓地、昭和 4 年には亀戸墓地、昭和 10 年には青山墓地の無縁改葬が行わ
れ、多磨墓地に遺骨が改葬されている。
この時の無縁改葬について、『多磨墓地』*11 には「この霊園内の無縁墓地整理により
生じたもの、明治七年に開設された古い市墓地であった亀戸、橋場の両墓地を、整理廃止
したとき出た無縁仏をここに移したもの、あるいは、青山墓地の無縁仏を、多磨墓地内 17
区に、1 カ所 1.5 平方メートルあたりの小さな墓地をつくり、これに並列埋葬してあった
ものを、改めてここに埋葬したものもある(17 区にあったときのその墓地を古い写真で
みると、あたかも外国などにある軍人墓地のように、小さな石塔の群立しているのがみえ
る)」とある。青山墓地の無縁墳墓として改葬した焼骨は多磨墓地の第 17 区で埋葬し直し、
「小さな石塔が群立してい」たとあるから石塔も建て直したのであろうか。この点に関し
てもなお詳細は不明である。
ともあれ、都市部を中心に墓地の整理が頻繁に行われるようになってきた。このような
状況を踏まえて、昭和 7 年 10 月 1 日に「墓地及び埋葬取締細則」(警視庁令第 33 号)によって、次のような無縁墳墓の改葬手続きが規定された。
○「墓地及埋葬取締細則」(警視庁令第 33 号、昭和 7 年)
第 11 条 無縁墳墓ノ改葬ヲ為サムトスルトキハ左ノ手続ヲ完了シ之ヲ証スへキ書類ヲ前条ノ願書
二添付スへシ*12
一 墓地使用者及死者生前ノ本籍拉住所地ヲ管轄スル市区町村長ニ縁故者ノ有無ヲ照会スルコト
二 日刊新聞五種ニ各三日以上改葬広告ヲ為シ縁故者ノ申出期間ハ三箇月以上卜為スコト
三 現場ノ写真又ハ図面ヲ作製スルコト
前項ノ出願書類ハ正副ニ通ヲ提出スへシ
願書ノ副本ハ許可証卜共ニ交付ス管理者ハ之ヲ永久保存スへシ
第 12 条 発掘シタル無縁墳墓ノ遺骨ハ左ノ方法ニ依り之ヲ保管スへシ
一 一基毎ニ別箇ノ容器ニ収メ法名,俗名・死亡及改葬年月日其ノ他必要事項ヲ明記スルコト
二 容器ハ陶器又ハ不朽性ノモノトスルコト
第 13 条 明治元年以前ノ死亡者又ハ行旅死亡人其ノ他特殊ノ事由アル者ノ改葬ニ係ルトキハ墓地
所在地所轄警察署ノ許可ヲ受ケ前二条ノ規定ニ依ラサルコトヲ得
この手続き規定において、注目すべきことは次の三点であろう。
1 日刊新聞五種に三日以上という厳しい規定をおいたことである。
2 改葬した無縁墳墓の遺骨の保管を求めていることである。現在の無縁墳墓を改葬した
後、その遺骨の処理に関しての規定はない。改葬された遺骨は、法的には祭祀財産ではな
くなる訳であるから、結果的にはゴミとして処理されることになる。墓地埋葬法において、
無縁改葬された遺骨の処理が規定されていないことがむしろ問題なのだろう。
3 明治元年以前の死亡者や身元不明者等の遺骨の改葬に関しては、第 11 条・第 12 条の
適用を受けないことが規定されている。身元不明者としての「無縁仏」(明治元年以前の
死者も同じである)と承継者がいなくなった「無縁仏」を区別していたことになる。
2-2-3 現在の無縁墳墓の手続き
昭和 23 年 5 月 31 日、「墓地、埋葬などに関する法律」(法律第 48 号、以下「墓地埋葬法」と呼ぶ)が制定され、旧法(「墓地及埋葬取締規則」[明治 17 年])が廃止された。無縁墳墓の改葬に関する規定は、この法律の施行規則第 3 条に規定された。改葬一般に関する規定と一緒にまとめると次のようになる。
○墓地、埋葬などに関する法律施行規則[昭和23年7月13日 厚生省令第24号]
第2条 法第五条第一項の規定により、市町村長の改葬の許可をうけようとする者は、次の事項を記載した申請書に、埋蔵若しくは納骨の 事実を証する墓地若しくは納骨堂の管理者の証明書を添えて、同条第二項に規定する市町村長にこれを提出しなければならない。
1.死亡者の本籍、氏名、性別(死産の場合は、父母の本籍、氏名)
2.死亡年月日(死産の場合は、分べん年月日)
3.埋葬又は火葬の場所
4.埋葬又は火葬の年月日
5.改葬の理由
6.改葬の場所
7.申請者の住所、氏名及び死亡者との続柄
第3条 無縁墳墓に埋葬された死体(妊娠四ヶ月以上の死胎を含む。以下同じ。)又は埋葬された焼骨の改葬を行おうとする者は、前条の 申請書に、左に掲げる事実を証明する書類及びその墳墓の写真若しくは図面を添えて、これを墳墓所在地の市町村長に提出しなければならない。 但し、当該土地の使用に関する権利が相当法令の規定に基ずき公に消滅させられ又はその消滅が公に確認されていなければならない。
1.墓地使用者及び死亡者の本籍地及び住所地の市町村長に対して、その縁故者の有無を照会し、無い旨の回答を得たこと。
2.墓地使用者及び死亡者の縁故者の申出を催告する旨を、二種以上の日刊新聞に、三回以上公告し、その最終の日から二ヶ月以内にその申し出がなかったこと。
この墓地埋葬法の成立過程の中で、興味深い議論が衆議院厚生委員会で展開されている
榊原亨委員の「墓地または納骨堂の管理者が、その死体あるいは遺骨をを保管する責任に
ついて、どこにどういう規定が設けられててございますか」という質問に対して、三木(行)
政府委員は「・・・別に期限を定めておりませんので、無期限である」という答弁を行う。
– 11 –
これに対して、榊原は次のような議論を展開する(昭和 23 年 5 月 26 日、衆議院厚生委員
会議事録 第 3 号)。
○榊原(亨)委員 この無期限ということが非常に問題と思うのであります。たとえば、一度埋葬
した者は永久的にこの管理者が責任をもたなければならぬということは、今までございますように
無縁仏とか何とかいろいろなことがございましてその点の責任をはっきりしなければ、・・・・一度収
容したものをいつまでどういう責任で管理するかということが一つのこの法律案には出ていないの
であります。この点はひとつ何とか御改正を願うとか・・・
○三木(行)政府委員 御指摘になりました無制限・無期限な責任をもつということは誠に無理で
ございますが、・・・・ある時期になりますと、墓地あるいは納骨堂についても改葬という問題が自然
発生的に出てまいりますので・・・・(このような)問題は自然に解決するものであると私どもは考え
ている次第であります。
○榊原(亨)委員 改葬するまで責任をもつということになるわけですか。そういうことは法律上
なかなか難しいことだと思うのであります。たとえば書類は五箇年間保存してありますけれど、三
年目にそれを掘り上げてしまって、外の骨を埋めるということをいたしましても、何も法律上抵触
しない、あるいは罰則を受けないということになりますと、これは重大な問題だと私は思うのであ
りまして、この点の責任をはっきりする必要があると思います。改葬するまで待つというのは、何
年目に改葬するかわからないのに、改葬するまでその保管者が責任をもたなければならぬというこ
とにつきましては、多大の疑問をもっているわけであります。
○三木(行)政府委員 改葬を行うにあたりましても許可が必要でございますので、その点からも
制約することができる・・・・
○榊原(亨)委員 この点はたとえば何年間とかというものはこの管理者はその保管義務があると
いうふうなことをやるとか、あるいはゆえなくこれをあばく、あるいはさらにほかの骨をそこに埋
める知右場合には、どういう処罰をするという規定がこの中に必要だと思います。・・・
○三木(行)委員 ・・・今後墓地納骨堂等は公共団体等をしてやらせていく方針でございますので、
これらの管理につきましても十分民意にしたがう管理ができ得るものであると考えるのでありま
す。
○榊原(亨)委員 ・・・死体の霊に対しても不敬にならないよう十分考慮をお願いしたいと存じま
す。・・・
この議論は、墓地の利用に関する本質的な問題を提供している。まず、墓地経営者の義
務とは何かという問題である。ここで、墓地経営者は遺骨の保管者であるという理解が示
されている。しかし、現在の墓地経営者に墓地使用者から遺骨を預かりそれを保管する義
務があるという意識があるのであろうか。墓地経営者にある意識はおそらく墳墓を建立す
る場所を提供するという程度の意識しかないのが普通であろう。
また、これと関連して、使用者が墓地使用権を取得した後、最低限度どの程度の期間の
使用が認められているのだろうかという問題である。そして、問題はこの使用期間と無縁
墳墓の改葬がどのように関わるのかということである。
常識的には、これら問題は次のように理解されている。
①墓地の経営者から取得する使用者の権利は「墓地利用権」として位置づけられ、その権
– 12 –
利は祭祀承継者によって承継され、その期間は一般に「永代」として理解されている。
②遺骨の所有権は祭祀承継者に帰属するものとされ、墓地経営者はその保管場所の提供者
として理解されている。後段に関してはこれまで充分な議論は展開されていないが、遺骨
の処分に関しては第一義的には祭祀承継者に権利は帰属する、というのが一般的な理解だ
ろう。
③墓地の使用期間は定められていないが、一般には「期間の定めのない契約」とは理解さ
れていない。つまり、墓地経営者から一方的に契約の解除を申し出ることはできない。
④墓地使用権の承継者がいなくなったとき、当該の墳墓は無縁墳墓として改葬される。も
っとも、行政の立場としては、墓地の使用契約は私法上の契約であり、無縁墳墓の改葬は
行政上の手続きであるという観点から、別レベルの問題であるとする。昭和 23 年 9 月 13
日、事務次官から各都道府県知事にあてた通達(厚生省発第 9 号)の「無縁墳墓に埋葬さ
れた死体等の改葬」の第4項に「施行規則第 3 条に無縁墳墓に埋葬された死体等の改葬の
取扱手続が規定されているが、これはあくまで改葬に必要な手続のみに得られるものであ
って、墳墓の所有権、地上権等の私法上の物権等の処置に関するものではない。したがっ
て、無縁墳墓と認定されたものについては、その私法権の権利変更等を行う場合は必ずそ
れ等の規定によることが必要であること」と論じている。つまり、墓地使用権は私法上の
問題であり、私法上の権利関係が解消された中で無縁墳墓の改葬が行われるのだという立
場に立っている。
しかし、このような権利関係の構成には無理があると思われる。つまり、祭祀承継者の
存在を前提とし、遺体や遺骨を承継者によって承継していくと枠組みを前提としているが、
墓地の現実的な使用者は死者であって、承継者である訳ではない。守るべきは死者の権利
なのである。
墓地使用権は、祭祀の承継者の権利であって、死者の権利ではない。民法における祭祀
条項は、承継者(祭祀の主宰者)にとって墓地使用権が重要なのは「祭祀の場」を確保す
るためであり、それ故に墳墓(あるいは墓地の使用権)を「祭祀財産」として法は認めて
いるのである。この墓地の使用者が「あうんの呼吸で」死者の権利を代弁するものと見な
して、死者の尊厳性も確保できると考えてきたのだろう。しかし、問題はこの祭祀の承継
者がいなくなるのである。これからの死者の多くは祭祀の承継者を確保することができな
いまま、死んでいかざるを得ないのである。
無縁墳墓の改葬において守られるべきは死者の尊厳性なのである。この問題は、次節に
おいて再び論ずるとして、ここでは無縁墳墓改葬のシステムの戻ろう。榊原委員が述べた
ように、墓地埋葬法においては墓地の現実的な使用者の最低限度の権利は何であるかが明
示されないまま、同法施行規則によって無縁墳墓の改葬手続きが規定された。しかも、昭
和 7 年に定められた手続きが次の意味において簡素化されていた。
(1)広告を出す新聞の種類は 5 種類から 2 種類に変更されたこと。広告の回数が 3 回(日)
であるのは同じであるが、新聞の種類が 5 種類から 2 種類に減ったことである。
(2)改葬した遺骨の保存が定められていたことである。第 12 条第 1 項において「一基毎ニ
別箇ノ容器ニ収メ法名,俗名・死亡及改葬年月日其ノ他必要事項ヲ明記スルコト」として
遺骨の保存を定めている。現行法においては、この種の規定はおいていない。したがって、
次のように解釈されている。「無縁」になった遺骨は祭祀承継者がいなくなったので、「祭
– 13 –
祀財産」と見なされることはない。それ故、墓地埋葬法の対象となる「遺骨」ではなく、
所有者のいない単なる「物」として見なされることになる。強いて言うならば、この処理
に対する規制の法律はゴミ処理法になるのだろう。
改めて墓地埋葬法制定当時の議論を振り返ってみて気付くことは、三木(行)政府委員
の発言にみられるように、政府は遺骨を永遠に保存するとは考えていなかったことである。
三木は、いつまで保存するかということは「自然に解決するもの」という見解を示してい
る。それは、「あうんの呼吸」で行うものであって、明確な保存期間を定める必要なはい
という趣旨なのであろう。この前提になるのは、簡素化されたとはいえ、無縁改葬するた
めには新聞広告を出すなど、改葬を行う側で厳しい条件を乗り越えなければならなかった
からである。もっとも、全国紙2紙にそれぞれ3回の公告を出すことは改葬を行う主体の
大きな経済的な負担を強いるものであり、そのことが安易な無縁墳墓の改葬の抑止力につ
ながっていた。
しかし、このように抑止効果の強い無縁改葬の手続きは、改葬の主体となる墓地経営者
からみれば、現実に無縁墳墓が発生しても無縁墳墓の改葬公告を出すために多額の費用が
かさむために改葬の実施に踏み切ることができず、墓地の中で無縁化した区画で虫食い状
態になり、墓地の荒廃化を招く結果にもつながっていた。高度成長期においては、墓地の
供給が行政サイドの課題であったが、人々の移動や少子化のなかで無縁墳墓が増加する傾
向ははっきりしてきたとき、特に墓地経営者のサイドから無縁墳墓改葬手続きの更なる簡
素化が求められるようになってきた。
この改葬に関する議論は、総務庁の斡旋によってはじまり、「懇談会」の議論を通じて、
平成 10 年に同手続きを定めた墓地埋葬法施行規則(省令)が改正された。懇談会の報告
書にには次のようにある。
(無縁墳墓の改葬)
無縁墳墓の改葬手続は改める必要がある。現行制度は、2 紙以上の新聞に 3 回以上の公告を
求めているが、この公告手続が今日では高額の費用がかかりながら実効性が薄いことは、総
務庁の「あっせん」が指摘するとおりである。本懇談会は、現行の公告手続に代わる方法と
して次のような方法を提案する。
・官報で公告する。
(理由)公的な手続として一般的であり、廉価である。
・無縁墳墓として改葬する墳墓に立札を立て、一年間維持する。
(理由)最も原初的ではあるが、社会常識に合致すると考えられる。
・公的な団体が公告内容を永久保存し、当該団体の事務所で公衆の閲覧に供する。
それとともに、当該団体のインターネット上のホームページに公告する。
(理由)墓地経営者の公的団体が自らの責任で公告内容を保存することは望ましく、
また、インターネット上の公告は、最も今日的な伝達方法であり、全国から容易にアクセ
スが可能である。さらに、永久的な記録保存という要請にこたえられる。
この結果、墓地埋葬法施行規則第3条は次のように改正された。
第3条 死亡者の縁故者がない墳墓又は納骨堂(以下「無縁墳墓等」という。)に埋葬し、又は埋蔵
し、若しくは収蔵された死体(妊娠四ヶ月以上の死胎を含む。以下同じ。) 又は焼骨の改葬の許可
– 14 –
に係る前条第一項の申請書には、同条第ニ項の規定にかかわらず、同項第一項に掲げる書類のほか、
次に掲げる書類を添付しなければならない。*13
1.無縁墳墓等の写真及び位置図
2.死亡者の本籍及び墓地使用者等、死亡者の縁故者及び無縁墳墓等に関する権利を有する者に対し
一年以内に申し出るべき旨を、官報に掲載し、かつ、無縁墳墓等の 見やすい場所に設置された立
札に一年間掲示して、公告し、その期間中にその申し出がなかった旨を記載した書面
3.前号に規定する官報の写し及び立札の写真
4.その他市町村長が特に必要と認める書類
(1)新聞による公告が官報による公告に変更された。
この変更は、新聞による公告に実効性がないことがその理由であるが、改葬の情報を1
ヵ所に集中することによって情報の管理が可能になること。また、新聞に広告を出すため
には膨大な費用を必要とするが、官報掲載の場合には五万円前後の費用で広告を掲載する
ことができる。
(2)1ヵ年の立札を設置することを求めたこと。
9割以上の人々が先祖の墓に年1回以上墓参りをするという意識調査のデータに基づい
て、立札を設置することによって無縁墳墓であるかどうかの最終確認を行うことである。
この手続きに基づいて現実にどのような改葬が行われていくかは次章の課題であるが、
ここでは次のことだけを確認しておこう。まず、無縁墳墓の改葬手続きの簡素化によって、
墓地使用者あるいは死者の尊厳性は護られているのかどうかという問題であり、改葬を許
可する行政の監督責任の問題である。
2-3 墓地使用権のあり方と無縁墳墓の改葬
さて、この無縁墳墓の手続きの制定は、墓地使用権の「永代」という観念を実質的に無
効にした。ある一定の要件の下で、墳墓の縁故者がいないことが確認されると無縁墳墓と
して改葬される可能性がでてきたことである。私たちは、このことを明確に認識しておか
なければならない。
無縁改葬の手続きは公法上の手続きであり、私法上の墓地使用権が消滅していることを
前提として無縁墳墓の改葬ができるというのが法律の建前である。つまり、墓地の永代使
用権は私法上の問題であり、無縁墳墓の改葬手続きが公法上の問題であるから、この2つ
は別のレベルの問題であり、私法上の権利の消滅を前提として改葬が可能なのだという論
理は一見正当な議論であるように思える。しかし、現実には無縁墳墓の改葬を容易にする
ために、墓地の使用権そのものが簡単に契約解除あるいは使用許可の取り消しができるよ
うになっている。「永代使用権」と言われてきた墓地使用の権利が消滅すること、ここに
現在の墓地使用権の問題がある。
では、どのようなときに墓地使用権が消滅するのであろうか。この問題は、墓地のあり
方と関連して、現実には複雑なあり方を示している。
◎墓地の分類
墓地の分類はいくつかの観点からおこなうことができる。ここでの分類は、墓地という
– 15 –
土地の性格に基づた分類であると同時に、また墓地使用権のあり方に焦点をあてた分類で
ある。
・伝統型墓地 ①部落有(ムラ)墓地(村落共同体が所有・管理する墓地)
②寺院墓地(寺院が檀家・信徒のために設けた墓地)
③同族墓地(親族集団が墓地を所有する形態)
④個人墓地(個人が自己の所有地に設けた墓地、自己の屋敷地および屋
敷付属の墓地に設けた墓地と特に屋敷墓地と呼ぶ)
・霊園型墓地 ①公営墓地(国、都道府県及び市町村等の地方自治体が経営する墓地)
②事業型墓地(宗教法人・公益法人等の民間団体が経営する墓地)
○伝統的墓地
一般には近代的な墓地法制が展開される以前にできた墓地であり、墓地の所有権が部落
(村落)・寺院・個人にあることから上記のような分類が行われる。
・部落有墓地(ムラ墓地)=部落(旧村=ムラ)が所有する墓地であって、その利用者は
部落(旧村=ムラ)の構成員に限定される。一般的には、墓地は部落(ムラ)の総有のも
とであり、その利用は入会権的な性格を持つ。しかし、その利用権の消滅がムラの構成員
としての資格の消滅と一般的に一致するとはいえない。つまり、先祖をムラ墓地に埋葬し
た場合には他出した場合でもその利用権は維持されると解するべきであろうが、その利用
権の消滅についてはそれぞれの地域に慣習に任せざるを得ない。
・寺院墓地=寺院墓地にあっては、その寺院とムラのつながり、上知令・地租改正等の歴
史的展開、宗教法人化するときの名義の書き換えなど、墓地の地盤の所有関係は複雑に入
り組んでいる。つまり、寺院墓地の所有権は登記簿上の名義以上に複雑な問題をはらんで
いる。一般的には、寺院墓地の使用関係は寺檀関係に従うものとされるが、これも一般論
として論ずることも困難であろう。また、寺檀関係の終了が寺院墓地の使用権の終了であ
ると理解する寺院関係者が多いが(寺院の墓地使用規則にそのように規定されることが多
い)、それほど単純な問題ではないだろう。この問題は、墓地埋葬法第 13 条との関係でも
慎重に検討されなければならない。一般的には、寺檀関係の終了によっては墓地の使用関
係が終了するとは考えるべきではない。従って、寺院墓地の利用権の消滅も、その寺院の
慣習に委ねられることになる。
・同族墓地=同族集団が共有する墓地であるが、本家がこの墓地の所有者になっているケ
ースとムラ墓地の一角を同族集団が占有しているケースがあり、土地所有という観点から
見れば必ず一様ではない。墓地の使用権の消滅は一般には同族集団の内部問題であり、一
般的には慣習に委ねられるべき問題ではあるが、寺院墓地と同様に、本家の一方的な埋葬
拒絶が可能であるといえず、本家の使用権の解除の要求によって直ちに墓地の使用権が消
滅するとはいえないだろう。
・個人墓地=個人の所有地に墓地を設置している場合、これを個人墓地(多くの場合、民
俗学で言う〈屋敷墓〉である)と呼ぶ。一般的には自己の所有地に自己の墓地をもうける
ケースが普通であるが、時々と土地の所有名義と墳墓の所有名義が異なるケースもある。
後者の場合、どのような事情で土地所有者の名義墳墓の所有者の名義が異なるのか、一律
には論じることはできないが、売買によって名義が異なるようになった場合にはその契約
– 16 –
内容によって決めるべきであるし、長期間にわたって使用者からの連絡がなくまた埋葬・
埋蔵がない場合には時効による使用権の消滅を認めるべきであろう。
○霊園型墓地
近代の墓地埋葬法に基づいて設けられた墓地であり、公営墓地と事業型墓地に区分され
る。この霊園型墓地は、1878(明治 11)年の「共葬墓地」に端を発していると言えるが、「霊
園型墓地」の確立は、墓地区画の使用権が墓地の所有権から区別され、その使用権が墓地
経営者から付与される形態になったときに確立されたと考えるべきであろう。もっとも、
東京の青山墓地が神葬祭墓地として供用されたときには墓地区画の所有権が分譲されてい
た。その意味では、厳密な意味において公営墓地の全てが「霊園型墓地」ではなかったが、20
世紀になってから次第に墓地区画は所有権ではなく、使用権を譲渡するようになり、近代
的な墓地経営が展開されるようになる。
このような霊園型墓地では、土地の所有権と墓地使用権は全く別のレベルの問題である
と考える。あくまでも、墓地使用権は行政官庁によって許可を受けた墓地の経営者と墓地
使用者の契約によって設定される。
しかし、一般には墓地の使用権については次のような法解釈が試みられる。まず、墓地
使用権は他人が所有する墓地に対する権利であり、個人墓地のように自己所有の墓地に対
しては墓地使用権は成立しないと言う考え方である(吉田久、田山輝明*14)。このような理
解は、個人の所有地であっても行政官庁の許可がない限りは墓地として利用できないこと、
あるいは「地目」が墓地であっても現行法のもとでは墓地経営者として許可を受けたもの
でなければ土地所有者も当該の土地を「墓地」として使用することができないことを看過
している*15。
また、墓地使用権を「墓地として許可をうけた所有権者との合意によって、新たに成立
する」(谷口知平*16)と論じる学説もある。しかし、墓地として許可を受けるのは墓地埋葬
法上の墓地経営者であり、民法上の土地所有者ではない*17。つまり、霊園型墓地におい
ては、墓地使用権は行政官庁(都道府県知事)から許可を受けた墓地経営者によって設定さ
れる。そして、墓地使用権の内容は、墓地経営者と墓地使用者との契約によって決まるの
であり、一律にその内容について論ずることはできない。
そして、「永代」とされる墓地使用権であっても、契約や規則によって定められた管理
費等を一定の滞納をすると墓地の承継契約を解除したり、墓地の使用許可を取り消すこと
ができるという理論構成を墓地経営者達が行っているケースが多い。
しかし、墓地の使用期間を永代として高い価格で販売した使用権を、数年間管理費用の
支払いを滞納しただけで墓地の使用契約を解除したり使用許可を取り消すことができると
いうのは、そのような趣旨の規約をあらかじめ明示した場合であっても、墓地経営者の権
利の乱用であり、その行為は無効であると言わざるを得ない。守られるべきは、そこに埋
葬・埋蔵されている死者の権利であり、死者が「自然に帰る」まで死者が墓地において眠
る権利は保証されなければならない。
それにもかかわらず、このような内容の規約を設ける必要があるのは、無縁墳墓改葬の
前提条件として私法上の権利の消滅を求めているからであり、この法技術上の問題をクリ
アするために、理論的に墓地使用権の消滅を規定しなければならない。むしろ、このこと
が墓地使用権のあり方の混迷を深めている要因のように思える。
– 17 –
むしろ墓地埋葬法において定めるべきことは、現行のような「永代」とされる墓地使用
権の最低の利用期間であり、あるいはそれぞれの墓地の使用形態の特性に応じた墓地使用
者の権利を明確にした使用条件であろう。「永代」と言うことが墓地使用者の権利を守る
ものではないことを、墓地使用者も明確に認識すべきであろう。
2-4 墳墓の承継と無縁墳墓の改葬ー死者の尊厳性
「無縁墳墓」の存在が無視できなくなってきたときに、法律は「無縁墳墓」の改葬手続
きを規定してきた。ここには「死者の尊厳性」に対する配慮はない。家に属さない、家族
によって承継されない死者(遺骨)は改葬されるという原則を作ったのである。この原則
を要求したのが、前に触れたように、寺院であり、寺院墓地において墓地が狭隘になった
から「無縁墳墓」の改葬が必要であるとしたのである。
この「無縁墳墓」を行政用語あるいは法律用語として用いることは、その用語に付着し
た意味からいっても、人々の不安を煽るという意味からも、ふさわしくものではないと私
は思う。また、現代の墓地埋葬法においては、「無縁墳墓」の改葬した後、改葬後の遺骨
や焼骨をどのように処理するかについての規定がない。つまり、承継者がいない「遺骨」
は祭祀の対象ではなく、単なる「物」でしかない。これも不合理であろう。
無縁墳墓の改葬の中では、大きくは2つの問題がある。一つは、墓地の実際の使用者の
権利が守られているのかという問題である。墓地の実際の使用者という場合、死者を意味
している。これまでは、祭祀の承継者がいることを前提にして、死者の尊厳性は祭祀の承
継者が守るべきものと考えてきた。しかし、少子社会の中で、全ての死者が祭祀の承継者
を確保できる訳ではない。この場合、死者の尊厳性(「権利」)は誰が守ることができる
のだろうか。墓地の使用権という権利構成も同じである。墓地を使用する「権利」は、祭
祀の承継者ではなく、死者のものである。墓地をめぐる法律構成の全てが祭祀の承継者の
存在を前提としていること、ここに民法第 897 条の問題がある。
もう一つは、祭祀の承継者がいなくなった墳墓を「無縁」として改葬する必然性である。
多くの日本人は遺骨を自然に帰すことが望ましいと考えている。祭祀の承継者がいなくな
ったのであれば、社会が遺骨を自然に帰す仕組みを考えれば良いのではないか。つまり、
無縁改葬という仕組みではなく、別の方法で遺骨を自然に帰すことができないかという問
題である。
つまり、承継者がいなくなった墳墓や遺骨がどのように取り扱われるのは、無縁改葬で
はなく、新たな規定を必要としているように思う。一定規模以上の墓地では、この遺骨や
焼骨を収容する一定の施設を設けること、法律によってそれを義務づけるのも良いのでは
ないだろうか。もちろん。永久に遺骨を保管しろという要求ではない。死者の記録を残し
ながら、遺骨をいかに自然に帰すか、その工夫を必要としている。
3 無縁墳墓改葬公告のデータ整理
3-1 分析の対象
平成11年3月に無縁墳墓の改葬手続きが改正になった(『墓地、埋葬等に関する法律』
– 18 –
[以下「墓地埋葬法」と略]施行規則の一部改正[厚生省令第 29 号]、5月1日施行)。
この改正は、無縁改葬申請者の負担を軽減する観点から、2種以上の日刊新聞に3回以上
無縁改葬公告を出すとした従来の制度を改め、死亡者の縁故者等に対して一年以内に申し
出る旨の公告を官報で行い、また墳墓のある場所での立札設置、その期間内に縁故者等の
申し出がなかったことを証する書類を改葬許可申請書に添付するように定めたものであ
る。
この改正は無縁改葬の手続きの簡素化を定めたものであるが、この改正を通じて無縁改
葬の申請数が増えたかどうか、はっきりしない。ただ、平成 11 年の改正によって、無縁
改葬がどのように行われているのか、その実態を多少なりとも明らかすることができるよ
うになった。つまり、無縁改葬公告のすべてが官報に掲載されるようになり、無縁改葬公
告の情報の一元化が可能になったからである。また、無縁改葬公告には、無縁改葬の理由
や公告の主体等が示されるので、ある程度まで無縁改葬の実情あるいは傾向がこの公告情
報の整理を通じて読み取ることができるようになった。
今回の無縁墳墓改葬公告のテータの整理は墓地埋葬法施行規則第2条に定められた改葬へ
の記載事項のうち、次のデータをまとめたものである。
①公告のあった年月日 ②埋葬場所(墓地の住所) ③墳墓等の名称 ④死亡者の本籍・
氏名 ⑤改葬を行う者の住所 ⑥改葬を行う者の氏名 ⑦無縁改葬の理由
また、データの整理の期間は、官報による改葬公告が始まった平成 11 年 5 月から平成 16
年 3 月末まで、それぞれの年の公告件数は次の通りである。
平成 11 年 122 件 平成 12 年 223 件 平成 13 年 255 件
平成 14 年 241 件 平成 15 年 232 件 平成 16 年 52 件(3 月まで)
合計 1,125件
3-2 無縁改葬公告の地域性
表1は、無縁改葬公告を出した回数を県別にまとめ、その頻度を地図にまとめたもので
ある。西高東低の傾向が明確に表れている。
官報への無縁改葬公告の制度が施行されてから現在に至るまで、公告の回数が多かった
のは、東京都(98 件)、沖縄県(84 件)、福岡県(76 件)、大阪府(62 件)、愛知県(48
件)、兵庫県(44 件)、山口県(43 件)の順となる。全体としてみるならば、大都市圏に
無縁墳墓の改葬を行う頻度が高いことがわかるが、その中身を見ていると若干の違いも見
えてくる。
まず、東京都や大阪府に共通することは、道路工事等の公共工事・土地整理組合による
区画整理等の広義の公共工事によって無縁改葬を行う頻度は非常に低いのに対し、墓地の
整備を目的とした無縁改葬の頻度は非常に高くなっていることである。これらの大都市圏
では、都市開発が飽和状態に達しているか、あるいは都市整備が進んで都市の再開発が無
縁墳墓の改葬と結びつかなくなっているのではないだろうか。これに対して、愛知県や福
岡県では公共工事等の占める割合も高く(愛知県=36 %・福岡県= 43%)、また墓地整備
の需要も高まっている。いずれにしても、大都市においては無縁墳墓の改葬が積極的に行
われていることには変わりはない。
沖縄県や山口県は大都市圏の事情とは若干異なっている。沖縄県は、「公共工事等」に
– 19 –
よる無縁墳墓改葬が全体(84 件)の7割(61 件)を超えており、また宅地開発のためのも
のが 13%(11 件)に達している。公共工事等による無縁墳墓の改葬および宅地開発のた
めの無縁墳墓の改葬も全国で一番高い。このことは、沖縄県の墓地のあり方とも関連して
いる。つまり、沖縄県では、門中やムラあるいはその他の集団を単位とした亀甲墓や破風
墓等と呼ばれる大きな墳墓を設ける伝統があり、またこれらの墳墓は一般には個人墓地と
して設置されてきた。このため、墓地は各地域のあちこちに散在することになり、それが
公共工事や宅地開発の障害になっているように思われる。個人墓地という伝統的な墓地あ
り方が、無縁改葬の頻度の高さに結びついている。
表1 無縁墳墓改葬公告の数
Ranges for 合計 ID
Means
43 to 98 (7)
24 to 43 (12)
15 to 24 (11)
9 to 15 (6)
4 to 9 (11)
無縁墳墓改葬の数(99.05-04.03)
– 20 –
表2 無縁改葬公告の理由(県別)
県名 墓地 墓地移 墓地 寺院 寺院 公共 区画 施設 土地 住宅 そ の 合計
整備 転工事 廃止 工事 廃止 工事 整理 整備 整備 宅地 他
北海道 7 2 3 1 2 1 16
青森県 4 4
岩手県 3 1 2 1 1 8
宮城県 7 1 2 1 11
秋田県 1 4 5
山形県 6 1 7
福島県 3 1 5 1 10
茨城県 4 2 1 1 8
栃木県 1 5 1 7
群馬県 4 2 6
埼玉県 11 4 2 17
千葉県 17 1 2 1 21
東京都 90 1 1 2 2 2 98
神奈川県 21 2 1 1 25
新潟県 16 1 2 1 1 1 22
富山県 6 1 2 9
石川県 19 1 1 3 24
福井県 1 2 1 2 1 7
山梨県 2 3 5
長野県 7 3 10
岐阜県 8 2 13 2 25
静岡県 5 1 6 4 16
愛知県 26 2 1 1 11 6 1 48
三重県 19 1 6 26
滋賀県 11 4 15
京都府 17 2 1 20
大阪府 53 4 2 2 1 62
兵庫県 34 2 6 2 44
奈良県 5 5
和歌山県 11 1 6 1 19
鳥取県 4 5 1 1 1 12
島根県 7 17 1 25
岡山県 3 3 1 7
広島県 15 7 3 1 1 27
山口県 19 2 1 19 1 1 43
徳島県 12 13 2 2 29
香川県 18 1 11 1 1 32
愛媛県 15 18 2 1 1 1 38
高知県 1 21 2 1 1 26
福岡県 31 3 4 1 1 23 2 6 2 2 1 76
佐賀県 8 9 1 1 19
長崎県 1 13 1 1 16
熊本県 10 1 17 1 1 30
大分県 5 1 14 4 5 29
宮崎県 4 6 2 1 13
鹿児島県 7 2 5 2 2 1 19
沖縄県 8 35 6 14 6 11 4 84
合計 587 27 14 12 2 337 54 42 15 23 12 1125
– 21 –
表3 無縁改葬公告を出した人(県別)
県名 宗教法 区・地区 市町村 都 道 府 財団・社 その他 国 公 社 ・ 組合 な 民間・株 個人 合計 I
人 委員会 県 団法人 の法人 公団 ど 式会社 D
北海道 5 8 1 1 1 16
青森県 3 1 4
岩手県 5 1 1 1 8
宮城県 8 1 1 1 11
秋田県 1 4 5
山形県 7 7
福島県 4 1 3 1 1 10
茨城県 3 2 1 1 1 8
栃木県 1 1 2 1 2 7
群馬県 4 1 1 6
埼玉県 11 1 1 1 1 2 17
千葉県 10 3 4 1 1 1 1 21
東京都 89 1 6 1 1 98
神奈川県 21 1 1 1 1 25
新潟県 18 1 1 1 1 22
富山県 4 1 4 9
石川県 9 8 3 1 1 2 24
福井県 3 3 1 7
山梨県 5 5
長野県 3 1 4 1 1 10
岐阜県 3 13 4 2 2 1 25
静岡県 4 2 3 2 2 2 1 16
愛知県 22 12 9 1 1 1 2 48
三重県 6 16 2 1 1 26
滋賀県 3 2 8 2 15
京都府 14 3 2 1 20
大阪府 34 23 4 1 62
兵庫県 13 23 3 3 1 1 44
奈良県 2 3 5
和歌山県 10 2 2 5 19
鳥取県 2 4 3 1 1 1 12
島根県 4 1 3 14 1 1 1 25
岡山県 1 1 2 3 7
広島県 13 2 3 4 1 2 2 27
山口県 11 7 8 15 1 1 43
徳島県 8 3 6 4 4 4 29
香川県 9 5 10 7 1 32
愛媛県 15 3 1 11 1 6 1 38
高知県 1 2 15 3 1 3 1 26
福岡県 26 6 18 8 6 3 2 7 76
佐賀県 8 3 2 3 2 1 19
長崎県 1 1 1 9 2 1 1 16
熊本県 5 3 6 6 6 4 30
大分県 4 3 4 6 2 8 1 1 29
宮崎県 1 2 4 4 2 13
鹿児島県 9 7 1 2 19
沖縄県 1 22 29 2 3 1 1 4 21 84
合計 431 171 172 180 4 3 48 30 14 13 58 1125
– 22 –
山口県の場合は、西日本の一つの典型を示している。公共工事等も多く、墓地を整備す
る頻度も比較的高い傾向を示す。山口県では、公告件数 43 件のうち 21 件が公共工事関連
であり、公告を出す主体も市町村や県が 23 件を占め、半分を超えている。
反対に、無縁改葬公告の件数が少ないのは、青森県(4 件)、岩手県(8 件)、秋田県(5
件)、山形県(7 件)、栃木県(7 件)、群馬県(6 件)、富山県(9 件)、福井県(7 件)、山
梨県(5 件)、奈良県(5 件)、岡山県(7 件)と、東日本を中心に分布している。青森県
は墓地の整備を目的にした無縁改葬が4件あるのみで公共工事を目的とした改葬は一件も
ない。全体としてみても、東日本ーことに東北地方・北陸地方では墓地の整備を目的にし
た無縁改葬も、公共工事等による無縁改葬の頻度はかなり低いものになっている。
東北日本においては、墓地の整備も公共工事等による無縁改葬の頻度も低いのに対し、
西南日本ではその双方が高い頻度を示している。一般論としては、公共工事等によって墓
地の無縁改葬の必要が生じるのは小規模な墓地や個人墓地が多いことに起因することが多
い。また、墓地の整備を理由とする無縁墳墓の改葬が多いのは、人口の移動が激しく墓地
の需要を墓地整備により応えようとするか、あるいは無縁墳墓の増加によって荒廃した墓
地を整備する必要があるか、そのいずれかであろう。
無縁改葬の西高東低の傾向が、上記のような一般的傾向を反映したものであるかどうか
は必ずしも実証できる訳ではない。たしかに明治時代において東北地方において屋敷墓の
整備を警察の主導によって行われ、墓地の整備が進んだという話はこれまでの調査なのか
でよく聞いた話ではある。また、遺体に対して忌避感情が強い近畿地方に対して、同じ土
葬にしても東北・北陸は地方では遺体を保存する傾向が強い傾向があり、このことが無縁
改葬の抑止力として働いている、という仮説を立てることも可能だろう。しかし、西高東
低の傾向に関しては、墓地行政のあり方を含めてより実証的に考察する必要がある。これ
からの検討課題となるだろう。
3-3 無縁改葬の理由
墳墓が無縁化してもそれだけで改葬が行われる訳ではない。墳墓が無縁化をしても、差
し支えがなければそのままの状態においておけば良いからである。無縁墳墓の改葬が行わ
れるためには、無縁化を前提として、墳墓の改葬を必要とする外的な事情が存在すること
になる。改葬を必要とするのは、一般には墓地の経営者(管理者)であるかあるいは墓地
の使用者とは関係のない第三者である。ここで「無縁改葬の理由」というのは無縁改葬を
必要とする外的な事情を意味している。
どのような外的な事情がある時に無縁墳墓を改葬できるかについては法律上の規定はな
い。一般には、墓地経営者が無縁墳墓が増加してきたので墓地の景観あるいは墓地の再利
用のために墓地整備を必要とするとか、公共工事等の関係者が工事の遂行上無縁墳墓を取
り除く必要があるときに無縁墳墓の改葬が行われると考えてきた。しかし、現実にはより
多様な事情があることがわかった。
今回のデータの分析では、公告に記載された理由に従って「①墓地整備」「②墓地移転
・工事」「③墓地廃止」「④寺院工事」「⑤寺院廃止」「⑥公共工事」「⑦区画整理」「⑧施
設整備」「⑨土地整備」「⑩住宅建設・宅地整備」「⑪その他」に分類した(表2を参照)。
「①墓地整備」は多様な記載をこの用語のもとにまとめた。「墓地整備」「墓地の適正
– 23 –
管理」「墓地利用向上」「墓地の整理統合」「墓籍簿(台帳)の整備」「墓地使用者確認」「長
年にわたり連絡が取れない」「墓地の環境の向上」等々さまざまに表現されているが、無
縁墳墓の整理を目的としているもの、墓地管理を目的としているもの、墓地の環境整備を
目的としているもの、これらを「墓地整備」として分類した。
「⑥公共工事」は一般的には国や地方自治体が行う道路・ダム等の工事であり、「⑦区
画整理」は土地整理組合が行う区画整理、「⑧施設整備」は工場や学校等の施設の建設・
整備、「⑨土地整備」は土地整理組合以外の団体・個人が行う土地整備を目的とする無縁
改葬を分類したものである。「⑩住宅・宅地」は個人の宅地造成・住宅・アパートの建築
あるいは庭園の整備等のために無縁改葬を行うものである。⑥から⑨については公告に記
載に従って細かく分類したが、「公共工事等」ということで一括して集計することも可能
だろう。⑩については、「個人墓地」の改葬であるケースがほとんどであると思われるの
で別に分類することにした。
「⑪その他」の中には土地の売買によって敷地内にある墓地を無縁改葬するケースも 4
件、その内古墳群を史跡を保存するために無縁改葬するという皮肉なケースも含まれてい
る。また、公告の中に理由の記載がないもの 2 件、自然災害 2 件・公共工事の後の残土処
理の中でどういう訳か石材店が無縁改葬を行うのが 1 件、縁故者不明の遺骨が見つかった
から 3 件、計 12 件である。
表4 無縁改葬の理由×公示の主体
公示の主体 墓地整 墓地移 墓地 寺 院 寺院 公共 区 画 施設 土地 住宅・ そ の 合 計 I 構成
備 転工事 廃止 工事 廃止 工事 整理 整備 整備 宅地 他 D 比
宗教法人 364 14 2 11 29 6 2 1 3 431 38.3
区・地区委員会 129 7 3 19 13 171 15.2
市町村 63 3 6 1 63 16 16 1 1 2 172 15.3
都道府県 6 153 6 14 1 180 16.0
国 44 3 1 48 4.3
公社・公団 23 1 4 2 30 2.7
組合など 1 10 1 2 15 1.3
個人 21 3 3 2 1 2 7 17 2 58 5.2
財団・社団法人 4 1 4 0.4
その他の法人 1 2 3 0.3
民間・株式会社 4 1 1 3 4 12 1.1
合 計 587 27 14 12 2 337 54 42 15 23 12 1125 100.0
構成比 52.2 2.4 1.2 1.1 0.2 30.0 4.8 3.7 1.3 2.0 0.1 100.0 —
以上のように改葬の理由を分類した上で、どのような理由で改葬されるのかについてま
とめると、墓地整備がもっとも多くて全体の 52%、公共工事が 30%、③から⑥までを合
算するとの約 40%となり、「墓地整備」と「公共工事等」(③から⑥を合算したもの)を
理由とする無縁墳墓の改葬が大半(90.2%)を占めることになる。平成 11(1999)年のこの制
度発足時においては「公共工事等」が占める割合が多かったが、平成 12(2000)年度以降
「墓地整備」を理由とした無縁改葬が多くなっている。平成 11 年以前のデータはないの
で確かなことは言えないが、無縁墳墓改葬の手続きの簡素化によって、墓地の整備はより
促進されていると考えても良いであろう。
もっとも、ここでは次のことにも注目をしておきたい。まず、「③墓地廃止」や「⑤寺
院廃止」等のように墓地経営者がいなくなるようなときにも、無縁墳墓改葬の制度が利用
– 24 –
されていることである。墓地埋葬法第 10 条には墓地廃止についての簡単な規定があり、
改葬の手続きの終了後墓地廃止の手続きをとるというのが行政の立場である(昭和 44 年 7
月 7 日環衛第 9093 号)。その意味では、無縁墳墓の簡素化は結果的に容易な墓地廃止を可
能にしたことになる。この妥当性については、別に議論をする必要があるだろう。
また、無縁墳墓改葬の手続きの簡素化によって、墓地の移転も容易にし、さらに墓地に
変更を加える寺院の改築工事(⑤)も容易にした。あるいは、個人が自己の所有地にある
無縁墳墓の改葬を簡単に行うことができるようになった(⑩)。これらのことは、一方で
は墓地の統廃合を含めた整備を促進することにもなるが、他方では墓地の永続性が危機に
曝されることにもなる。
無縁墳墓改葬の理由は多様であり、多様な効果を生み出す可能性がある。他方では、こ
の制度の安易な利用が墓地の永続性の確保をも困難にするかも知れない。なお、この制度
の運用に注視する必要があるだろう。
3-4 無縁改葬公告を出した人
無縁改葬の申請者は必ずしも墓地の経営者(管理者)だけではなく、その他の無縁改
葬を必要とする人にも認めてきた。したがって、無縁改葬公告を出した人(公示の主体)
も多様である。
公示の主体としてもっとも多いのは「宗教法人」、そして「都道府県」「市町村」「区・
地区委員会」と続く(表3を参照)。「墓地整備」の主体としては宗教法人がもっと多く、
「公共工事等」の主体としては都道府県がもっとも多い。都道府県が「墓地整備」を行っ
たのが6件あるが、この全てが東京都が都営霊園の「墓地整備」のために行ったものであ
る。他の府県には直営の霊園がないので、「墓地整備」を行った例はない。したがって、
その6例を除けば、都道府県は公共工事の必要性から無縁改葬を行ったものである。国や
公社・公団等も同様で、「公共工事等」の必要性から公示の主体になったものである(表
4を参照)。
公共工事の実施にあたって無縁改葬を行うのは、公示の主体である都道府県や国等の機
関であり、墓地経営者(管理者)が公示の主体になるケースはむしろ少ないといって良い
だろう。しかし、なぜ墓地経営者が公示の主体にならないのかという疑問は生まれてくる。
たしかに「個人墓地」等のケースの場合、墓地経営者を公示主体とすることは困難である
かも知れないが、寺院墓地やムラ墓地の場合には墓地経営者(管理者)も比較的明確であ
り、工事関係者が公示主体となる理由はないように思われる。公示の主体が工事の関係者
であると、墓地経営者(管理者)が公示内容に記載されないことになり、墓地管理の責任
の所在を不明確にするように思われる。
「区・地区委員会」は、一般にはかつての旧村(大字)であり、墓地の整理にあたって
区長や地域の惣代が公示の主体になると同時に、墓地整理のために「墓地整理組合」等を
組織化しているケースも多い。「区・地区委員会」の墓地整理は全体としては中部地方か
ら西日本で広く行われているように思われるが、今後も従来のムラ墓地の整備は進んでい
くものと思われる。
公示の主体が「個人」であるケースが 58 例もある。ただ、共同墓地の無縁改葬を「個
人」の名義で行っているケースも多いので、厳密に言うならば「個人」に数えない方がよ
– 25 –
いかも知れないが、「個人」と墓地との関係についての記載がない。ここでも、公示の主
体についての明確な位置づけを必要としている。とは言え、宅地造成や住宅建設のために
個人の資格で無縁改葬の申請者(公示の主体)になっているケースも多い。
3-5 若干の事例報告
【墓地の廃止のための無縁墳墓の改葬公告】
墓地の廃止に関して墓地埋葬法には詳細な規定はない。墓地埋葬法では、第 10 条に墓
地・納骨堂・火葬場の経営の許可に条項があり、その変更・廃止に関して第 10 条第 2 項
において第 1 項の重要規定をおいているに過ぎない。ただ、で墓地廃止については2つの
通達が出され、次のような見解が示されている。(1)墓地廃止許可処分は、原則として当
該墓地に埋葬された死体又は埋蔵された焼骨の改葬がすべて完了した後に行なうべきであ
ること。(2)墓地廃止の許可処分を受けた区域に埋葬等の意思をもって墳墓を存続させる
ことは、法第 10 条違反である。更にこの場合に
おいて当該墳墓に死体が埋葬され、又は焼骨が埋
蔵されておれば、法第 4 条にも違反していること
となる。(3)墓地がきわめて近い将来において廃止
されることが確実であるならば、市町村長は当該
墓地への埋葬又は改葬を許可しないことができる。
この場合、当該墓地の管理者が埋葬又は埋蔵を拒
むについて正当の理由があると解する(昭和44.7.
7 環衛第9093号、昭和45.2.20環衛第25号)。実際
にどのような手続きをとるかは具体的な規定はな
く、それぞれの地域に委ねられていることになる。
今回のデータの中で、墓地の廃止(寺院の廃止
を含む)が15件の事例がある。この中で宗教法人
(寺院)の解散が2件(ともに申請は個人)、寺院
の都合によるものが2件、市町村や区・地区委員会
によるものが8件、個人の申請であるが実体が不明
であるもの3件である。どのような理由で墓地を廃
止するのか、これだけでは明らかではないが(個
人といっても必ずしも個人墓地の廃止ではない)。
いずれにせよ、墓地廃止を行う場合には、そこに
継承者がいない遺体や遺骨が埋葬ないし埋蔵されている場合には、廃止の手続きに前に改
葬すべきというのが通達の趣旨であった。愛知県知多郡東浦町の事例は、墓地の名義は東
浦町であるが、複数の町民が使用していた墓地の廃止の事例である。
愛知県知多郡東浦町における墓地廃止は、小規模な墓地が人家に隣接し、墓地の使用者
(所有者は東浦町)が墓地の廃止を求めたものであるが、次のような手続きがとられてい
る。
①埋葬の事実の確認・・・この墓地の利用者は現在では4軒、埋葬の事実についてはそれぞ
れ家の檀那寺や埋葬を記憶している人がいるので、それを証明する資料を作成する。
東浦町緒川上之山墓地
– 26 –
②役場担当部署と相談をして、改葬許可証の書類を添付して半田保健所に墓地廃止の申請
を行うことになる。この時、墓地の使用者で墓地委員会を作り、代表者を定め、代表者に
全てを委任することにした。墓地の廃止の書類は「東浦町」が行うことになった(02/07/2
7)。
③7月29日から、実際の改葬作業の準備を始め、8月4日と7日に実際の改葬作業を行う(実
際には改葬許可申請書は8月1日になる)。
④8月4日の記録には次のようにある。「7時に墓地に集合。祭壇を設営し花見さんを迎え
に行く。精霊抜きのお祓いと土地の神様の祈祷を行う。お布施50,000円を上之山墓地委員
会の名であげる。」墓地の使用者4軒がこれに立ち会っている。
⑤8月7日には次のような記事がある。「早朝より暑くなりそうな日だ。8時30分安藤石工
店がご主人と人夫2人の計3人でくる。今日は水野・笠松家の墓から取り掛かる。打ち合
わせの如く作業をはじめる。墓石の直下を掘り下げるも、なぜか土が固くて墓穴を掘った
場所とは思えない。だんだん移動して笠松家の墓に掘り進んだらそれらしい場所があり、
掘り下げてたら棺が見つかったが、人骨らしいものはなくなっていた。埋葬後72年も経過
しているので土に帰っていったのだと思う。周囲の土だけをとって骨壺に入れる。笠松家
の墓を次に発掘して人骨が一片見つかる(昭和16年に埋葬している・・・引用者)」。
⑥8月8日には次のような議事がある。「本日は、桝田孝夫家と松田東家の墓の発掘を行っ
た。まず、津右衛門さんの墓から取り掛かり、次に豊吉さんの墓を掘り出したが棺らしき
ものは確認されたが人骨は出なかった。掘り出した土を戻
し、墓石を石材店が撤去してくれた」。
⑦改葬の終了を役場に報告して、官報への公告・立て札の
件を依頼する。官報は9月1日に掲載し、立て札を8月29日に
立てる。改装費用=165,000円、官報掲載費=45.664円、看板
(立て札)=2,500円である。
官報の文面は次の通りである。「緒川上之山墳墓地の廃止
のために無縁墳墓等について改葬することとなりましたの
で、墓地使用者等、死亡者の縁故者及び無縁墳墓等に関す
る権利を有する方は、本公告掲載の翌日から一年以内にお
申出ください。/なお、期日までにお申出のない場合は、
無縁仏として改葬することになりますのでご承知ください。
/平成十二年九月一日」
【土葬用墓地から火葬用墓地へ変更するための改葬】
奈良県でこれまでに無縁改葬公告を出した件数は 5 件に
過ぎないが、この内 4 件は土葬共同墓地の整備に伴って行
われたものである。公告の件数としては、御杖村が1件、
曽爾村が 3 件であり、他の 1 件は橿原市の事例で「墓地整
備」とあるが、詳細は不明である。
この御杖村・曽爾村は両墓制が分布する地域である。上
記の資料によると、昭和 59 年までは原則として土葬であ
土葬墓地から火葬用石塔墓地へ(杣谷霊園)
– 27 –
ったが、両村の一部
事務組合により火葬
場を建設し、10 年間
の経過措置を経て土
葬墓地の整備を行っ
たものである。土葬
墓地は、一部は石塔
墓地になったが、一
部は墓地としては使用しないが「公園墓地」として残す場所もあるといわれている。御杖
村・曽爾村の個々の土葬墓地のすべてがどのような変貌したかについては未調査である。
ただ、そのいくつかについては実際墓地を見てみた。写真のように、土葬墓地を「石塔墓
地」として変わるか、「土葬
墓地」をそのまま残し「公園
墓地」として維持していく2
つの方法があるように思う。
「公園墓地」のなかに「公園
墓地につきいつも美化に心が
けて下さい。ペット類の埋葬
は禁止します」と書かれた立
て札が立てられており、それ
が印象に残った。
【個人墓地の墳墓を無縁改葬
した事例】
1999 年 6 月、無縁墳墓の改
葬を個人で行う広告が掲載さ
れた。改葬公告には次のよう
にあった。「庭園の整備のた
めに無縁墳墓等について改葬
することとなりましたので、
墓地使用者等、死亡者の縁故
者及び無縁墳墓等に関する権
利を有する方は、本公告掲載
の翌日から一年以内にお申出
ください。なお、期日までに
お申出のない場合は、無縁仏
として改葬することになりま
すのでご承知ください」と。個人墓地の場合、墓地の所有者と使用者は同一人であるケー
スを前提と考えていた。墓地使用権の議論の中でも、個人墓地では、墓地使用権という概
念は成立しないとする学説もある。
申 請 理 由 書
御杖村に現存する共同墓地は、その全てが、4 大字の財産区有地となっ
ており、従来共同土葬墓地として、関係者に利用されてきました。
その後、昭和 59 年 4 月、曽爾・御杖行政一部事務組合による火葬場が
運営開始されたため、既存土葬墓地への埋葬がなされない状態であり、
維持管理は、墓地関係者により行われておりますが、木墓標が朽ち、区
画の右横も不明確な現状となっております。
火葬場の運営開始当初、御杖村は、この土葬墓地に対して、おおむね、10
年の経過を待って整備方法を検討していく方針を打ち出しており、その
実現に向け、平成 9 年度に、村の諮問機関として、御杖村共同墓地整備
方法検討委員会を、19 名の委員により発足させました。
委員会では、村民の要望を取りまとめながら、検討会を重ねた結果、
現在の墓地を整地し、石塔場建設を基本に整備していくことを決定し、
村へ答申しました。
村は、これをうけて、現存する村内の共同墓地 15 ヶ所を対象に向こう 5
ヶ年を目途に、整地を村の事業として実施することになりました。
実施については、村内 15 ヶ所の墓地関係者により、各共同墓地代表者
を選出して、墓地整備委員会を作り体制を整えました。各基地の合同整
備委員会において、平成 10 年度は、御杖村大字神末柚谷、西浦の 2 共同
墓地を整備していく決定がされ、この 2 共同墓地の地元において、墓地
管理運営規約を定めると共に、村の事業の整地後、石塔場墓地として運
営していく決定がされました。
以上の理由により、墓地区域内施設変更届を提出致します。
西浦共同墓地管理運営委員会
委員長 今 西 恒 雄 印
御杖村 改葬された土葬墓地 改葬された土葬用墓地の看板
– 28 –
この事例は、徳島県板野郡藍住町の個人墓地の改葬公告である。四国も、沖縄・九州と
並んで個人墓地が比較的多く、沖縄を除けば屋敷内に墓地を設ける事例を多く見出せる地
域である。一般的に墓地付きの屋敷を売却する場合には、屋敷の所有者が墳墓を改葬をし
て移転するケースが多いと思われるが、この事例では屋敷を買ったときにはすでに墳墓が
あり、その所有者が誰であるかわからなかったという。前々からこの無縁墳墓が気にかか
っていて役場の方に相談をしていたが、今回改葬手続きが簡素化されたのでこの公告を出
したのだという。
個人が改葬広告を出した事例は 58 件、全体の 5.2%に達している。墓地の整備や住宅・
宅地の整備と理由とする事例が多く、また沖縄県 21 件ともっとも多く、九州・四国で合
計 22 件、沖縄・九州四国で約 75 %に達している。
【墓地の経営権の譲渡と無縁墳墓の改葬】
平成 14 年 10 月 28 日「名古屋市千種区南ケ丘二丁目五一-一に所在する無縁墳墓等を
三重県所在「新大仏寺」に移して永代供養することとなりましたので、左記の墓地使用者
等死亡者の縁故者及び無縁墳墓等に関する権利を有する方は、本公告掲載の翌日から一年
以内にお申し出下さい。なお、期日までにお申し出のない場合は、無縁仏として改葬する
ことになりますのでご承知下さい」とする改葬公告があった。無縁墳墓の改葬を改葬先(新
大仏寺)を明示して公告するというのは初めてのケースであったし、どのような法的手続
きを行ったのか、関心を持ったからである。
しかし、この墓地の改葬には現代の墓地問題の矛盾を表現してるような、複雑な背景が
あった。実は、この墓地には改葬公告と同時に、次のような立て札も設置されていた。
墓地使用者の皆様へ
当、覚王山中央霊場北山共同墓地は、前経営者中村浩三
氏の死去(平成十二年一月二十一日)に伴い、名古屋市の指
導を受け後継墓地経営者として、宗教法人阿龍山瑞専寺が許
可され(経営許可平成十ニ年九月入日名古屋市指令健環第 6
号)、管理・運営する墓地となりました。
つきましては、既に墓地を使用されている皆様に、改めて
墓地使用者名及び使用面積確定の上、当寺発行の墓地使用証
書との切り替え業務を順次行います。
後日御連絡致しますので、御協力の程御願い致したします。
尚、卸質問号については、当管理事務所でお尋ね下さい。
平成十二年九月吉日
阿龍山瑞専寺北山共同墓地管理事務所(略)
京都事務所(略)
北山共同墓地は、中村浩三氏が経営する墓地であ
ったが、中村氏の死亡ともに経営権を宗教法人瑞専
寺に譲渡した。この経過に関しても「名古屋市の指
経営権の交代を知らせる看板
新大仏寺に改葬された墳墓
– 29 –
導」であるとするが不明な点が多い。また、こ
の共同墓地が中村氏個人の名義になっているの
は、戦前にあった墓地を軍用地にしたためにそ
の代替地として中村氏の所有する土地が充当さ
れたとされたことによるとされる。しかし、な
ぜ中村氏が墓地経営者になったかはその理由は
不明である。中村氏が亡くなったとき氏の相続
人はこれを継承せず、宗教法人名義になったか
が、この理由も不明である。名古屋市がこの墓
地経営者の地位の継承を相続に人に認めなかっ
たのであろうか。また、名古屋市が、名古屋市
に檀家がなく京都府に本部のある寺院になぜ経
営許可を与えたのかも理解に苦しむところであ
る。
平成 12 年 9 月に経営権の譲渡を受けた瑞専寺
は墓地の整備の着手を行ったのが、平成 14 年 10
月である。この整備は大規模なものであり、三
重県阿山郡大山田村富田に新大仏寺の墓地に墓石は移された。瑞専寺の無縁改葬は投資し
た資金を回収するために新たなに墓地区画の確保するためのものだったのであろう。
しかし、厳密に言えば、新大仏寺の墓地に移されたというのは正確ではない。この墓石
が移された「伊賀大仏霊園」は新大仏寺名義で申請された墓地であろうが、バブルの崩壊
で墓地開発を行った業者が倒産、現在は経営権を大阪かどこかの某業者にゆだねていると
いう。そして、新大仏寺関係者の話では、現在は「当寺院と一切は関係しない」としてい
た。つまり、新大仏寺がこの無縁墳墓の永代供養をしている訳ではない。
私がこの墓地へ行ったのは平成 15 年であったが、ほとんどの墓地区画は売れておらず、
名古屋から運ばれてきた北山共同墓地の無縁の墓石だけが並べられていた。名古屋か運ば
れてきた無縁の墓石は、写真で見るように膨大であり、ざっと見ただけでも比較的最近に
なって建立された墓石も見られる。私が見たものの中には、平成 3 年に亡くなられた方を
埋蔵された墓石が少なくとも 10 年も経過するかしないかの間に無縁墳墓として改葬され
ている事例を確認した。
今回の調査では、名古屋市の話を聞く時間がなかったので詳細については不明である。
瑞専寺と大仏寺の関係者にあったが、充分な話を聞くことができなかった。この「伊賀大
仏霊園」の開発申請が宗教法人新大仏寺の名義で行われていることは三重県の伊賀にある
保健所で確認をした。もともと、この事例の検証は無縁墳墓の改葬先を明示していたこと
がきっかけであったが、調査を進めていく中で謎の多いものになってしまった。
墓地埋葬法は、墓地経営者の交代を予定している訳ではない。ここでの墓地の譲渡をど
のように法的に処理をしたかである。旧来の墓地使用者の権利は守られたのであろう。死
者の尊厳性は護られたのであろう。新大仏寺に移しての「永代供養」とはどういう意味で
あろうか。名古屋市はこの実態を知っているのであろうか。「伊賀大仏霊園」に移された
膨大な無縁墳墓は法的にどのような位置づけが与えられるだろうか。三重県は、巨大な無
平成3年に亡くなられた方の無縁の墓石があった
*1 ここでの「無縁」概念は、基本的には藤井正雄「無縁仏考」(大島建彦編『無縁仏』[岩崎美術社・
1988]所収)に負っている。なお、大島編『無縁仏』(前掲)に所収の文献の外、最上孝敬「無縁仏に
ついて」『葬送墓制集成 第三巻 先祖供養』(名著出版・1979)を参照。
*2 民俗学では「無縁仏」に関する研究は多いが、「子墓」についてはそれほど明らかになっている訳
ではない。幼児・子どもの埋葬に関しては、葬式を行わない、七歳未満の子どもが死んでも葬式を行わ
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縁墳墓の集積地として「伊賀大仏霊園」に許可を与えたのであろうか。宗教法人の公益事
業としての墓地経営の実態、墓地経営の名義貸しの問題、バブル時代に都市郊外に作られ
た霊園の実態、さまざまな意味で、営利事業化した墓地経営の矛盾が色濃く反映された事
例のように思える。
4 まとめ
今回の無縁墳墓改葬公告のデータの整理は、無縁墳墓の改葬の実態、どのように無縁改
葬が行われているか、その実態を知ることが目的であった。しかし、データベースの表面
的な数字とは別に、無縁墳墓の改葬の背景には多様な問題があるように思える。墓地の廃
止や墓地経営者の交代などという、これまで法が想定しないような頻繁に起こるようにな
った。無縁墳墓の改葬に関する規定は墓地埋葬法施行規則に規定されているが、墓地の廃
止について公告義務がないというのもバランス欠くように思われるし、墓地経営者が交代
する場合にもより明確な規定を必要にしているように思われる。
平成 11 年の無縁墳墓の改葬手続きの改正によって、無縁改葬の実態がある程度明らか
になってきた。ただ、行政の管轄の官庁が無縁墳墓の改葬がどのように行われているのか、
その実態が知らないケースが多い。無縁墳墓の改葬の申請があってはじめて行政官庁が無
縁墳墓の公告があったことを知るケースが多い。この意味では、この改葬公告はなお検討
する余地がある。しかし、官報による改葬公告は情報の一元化をはかることができたとい
う点では大きな前進であったように思う。つまり、これまで闇に包まれていた全国でどの
ような無縁墳墓の改葬が行われているかというが、少し明らかになったように思う。そし
て、一方ではこの制度の不備も明らかになったように思う。以下、なお残された検討課題
も多いが、さしあたりの結論として次のように整理しておこう。
①地域的なばらつきがあるものの、平成 11 年の無縁墳墓改葬手続きの簡素化によって、
墓地の整備が進んでいるのではないかと思われる。
②無縁墳墓改葬の理由は様々である。手続きの簡素化は墓地の整備を促進する一方で、そ
の運用の仕方によっては墓地の永続性を損ねることにもなりかねない。したがって、改葬
の許可を与える市町村は改葬の実態を掌握する必要があるだろう。
③無縁墳墓改葬公告にどのような事項を記載すべきかについてはなお検討すべき事項も多
いように思われる。誰が公示の主体になるべきであるか、墓地経営者の名称を記載する必
要はないのか、墓地使用者の名称はどうか、どのような事項をどのように公示するかはな
お検討の余地がある。
*3 奈良県山辺郡都祁村吐山での調査によると、18世紀のはじめの頃、村墓地の詣り墓の家単位に区画
された墓地の中に子墓が建立されるようになる。つまり、埋葬は子ども専用墓地であったかも知れない
が、石碑は大人と同じ場所に建立されている。しかし、子どもの石碑の建立が目立つようになるのは19
世紀の後半であって、家墓の建立とともに石碑としての子墓が建立されなくなる(『吐山の墓制-墓と
祖先祭祀についての法社会史的研究-家族村落構造との関わりで』(1994-1995年度文部省科学研究費補
助金一般研究[C]報告書、1997)。
*4 今日では、身元不明人の死者のために市町村が墳墓を建立するという話は一般的には聞けないので、
多くの場合は火葬した焼骨を市町村などが管理する「無縁塔」に納骨されるのだろう。
*5 東京都百年史編集委員会『東京百年史 第3巻』(ぎょうせい、昭和54年)732頁
上知令との関わりでは、私も次のように整理したことがある。森謙二『墓と葬送の現在』[東京堂出
版/2000]109頁以下。
この寺院墓地の歴史は複雑である。明治以降に限定しても、明治四年の上知令、地租改正に伴う
一連の作業、そして上知された旧寺領の返還等々、寺院墓地は土地所有権という観点から見るだけ
でも複雑な展開をする。この歴史的な展開を本格的に議論することはできないが、若干言及してお
こう。
上知令においては、寺院の境内は上知を免れ、いわゆる境内墓地は一般的には寺院の所有地にな
った。しかし、境内以外の墓地については学説上争いがある。まず第一に、明治四年「境内区別相
定其ノ余田畑山林ハ勿論喩ヘ不毛ノ地ニ候共墓地ヲ除クノ外上地ノ儀・・・・」(太政官達二五八
号)に基づいて、境内外の墓地も上知されなかったという解釈である。第二は、明治八年の地租改
正事務局達乙四号は地租改正についての新たな政策であり、従来から曖昧であった境内について新
しい定義(すなわち「祭典法要ニ必需之場所」)を行うことにより上知の対象を拡大して、境内外の
墓地も上知された、という解釈である。
ここでは解釈論の是非を問題にしても仕方がないことである。この時期における寺院の墓地の所
有名義がどのように展開したか、それを簡単にまとめるにしよう。
①境内にある墓地
①の1 民有地の証のあるもの → 寺院所有の墓地
→ 檀家(あるいはムラ)名義の墓地
①の2 民有地の証がないもの(明治八年七月八日、地所処分仮規則第七章、第二節第一条)
→官有地
土地の区分は、官有地第四種から民有地第三種(人民共有地)へ
②境内外のもの(境内に組み入れられなかった) ← 明治八年六月二九日、地租改正事務局
乙第四号第一条を参照
②の1 →上知(これについては法解釈上の争いがある)
(官有地)
土地の区分は、官有地第四種から民有地第三種(人民共有地)へ
この上知処分・地租改正を通じての墓地の取り扱いは必ずしも明確でないまま進み、東京では紛
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ず墓地にも埋葬せず床下や庭に一角に埋めるとか、いくつかの断片的な報告がある。幼児死亡率が高い
時代に、幼児・子どもの埋葬をどのように行われていたかは資料の整理が必要だろう。伊達藩の藩主の
家では、子ども専用の墓地が仙台市経ケ峰に設けられていたとする報告もある。上層階層でも子墓が設
けれていたとすれば、幼児・子どもの埋葬はより多様な形があったのではないかと思われる。なお、子
墓については文献の所在を含めて、田中久夫「子墓ーその葬制に占める位置について」『葬送墓制研究
集成 第一巻 葬法』(名著出版、一九七九)を参照のこと。
*6 この時期「町村」の共有地は、「人民共有地」と呼ばれていた。
*7 明治24年2月「共有墓地市及町村へ引継之件」(訓令第[27]号・・・[ ]内は欄外、とある)にお
いて、「共有地」を市町村に引き継ぐべき目録が記載されている。しかし、この過程で東京府の中でも
寺院の下付すべきという議論がおこるが、結局は地券の書き換えを行わず市町村の管理のもとにおかれ
た。この時に市に引き継がれる墓地の面積を本文中にあげておいた。しかし、文書の中に出てくる数字
は必ずしも同じではなく、約32万坪というところだろうか(『東京市史稿』(前掲)238頁、219頁)。
*8 ここでの新聞記事は、断りがない限り、細野雲外『不滅の墳墓』(厳松堂、1922)による。187頁以
下
*9 荒川元暉『寺院ハンドブック 墓地編』(三成書房、昭和63年増補版)472頁、第1条に「昭和17
年」とあるのは明らかに誤植であると思われるので、「大正17年」と直しておいた。
*10 細野雲外『不滅の墳墓』(前掲)191頁
*11 村越知世『多磨霊園』(郷学社、1981)45頁
*12 前条の規定というのは改葬一般について規定したもので以下の通りである。
第10条 改葬ヲ為サムトスル者ハ願書二左ノ事項ヲ具シ墓地管理者ノ署名捺印ヲ受ケ墓地所在地所轄警
察署ノ許可ヲ受クへシ
一 出願者ノ住所氏名
二 墳墓所在地ノ地名,番号
三 改葬先ノ地名,番号
四 改葬ノ基教,法名,俗名及死亡年月日
五 土葬火葬ノ別(土葬ノ者ニアリテハチ其ノ病名ヲ併記スルコト)
六 改葬の事由
*13 生活衛生法規研究会監修『逐条解説 墓地、埋葬などに関する法律(改訂第2版)』(第一法規、
平成11年)では、無縁改葬について次のように解説している(二七頁以下)。
(1)無線墳墓等の写真及び位置図
・改葬許可権限老である市町村長において改葬の許可の対象となる無縁墳墓等の位置,状況等が明確に
把握できるものであることが必要である。
(2)死亡者の本籍及び氏名並びに墓地使用者等,死亡者の縁故者及び無縁墳墓等に関する権利を有す
る者に対し1年以内に申し出るべき旨,官報に掲載し,かつ,無縁墳墓等の見やすい場所に設置された
立札に1年間に掲示して,公告し,その期間中にその申出がなかった旨を記載した書面
・改葬許可の申請者に公告に関する事実関係を明らかにさせる趣旨である。
・立札については,改葬に係る当該無縁墳墓等を訪れた縁故者等が容易に公告内容を知り得る状態で1
年間継続して設置されていなければならない。
例えば,管理事務所等にまとめて掲示するのは適当でないし,立札の大きさや文字等も明瞭に公告の
趣旨が読みとれるものでなければならない。
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争が生じた。第一は、右の①の2の墓地について、(1)寺院名義の墓地に書き換えて欲しいこと、
(2)他宗派の埋葬を拒絶できるかどうか、の二つの要求が寺院側から出されるのに対し、東京府
は(1)について拒絶、(2)については「寺院の檀家のみを埋葬する慣習があれば他宗派の人々の
埋葬を拒絶できる」とした(明治二一年四月二五日回答)。第二は、明治二四年に東京府は「共葬墓
地使用規則」(東京市規則第三号)「元寺院境内共葬墓地使用規則」(同、第五号)を制定し、①の2
および②の1の墓地を「共葬墓地」(特定の宗派に属さない墓地)として東京市の規則の管理下にお
いた。もちろん、この共葬墓地でも「寺院の檀家のみを埋葬する慣習があれば他宗派の人々の埋葬
を拒絶できる」としたので(明治一七年「細目標準」)、現実には寺院に大きな影響を与えることは
なかったが、寺院側は所有名義にこだわったのである。
*14 吉田久『墓地所有権論と墓地使用権論』(新生社、1962〕34、69頁。田山輝明「墓地使用権の法的
性格」102頁
*15 現行法のもとでは、伝統型墓地で霊園型墓地でも、墓地経営者(管理者)をおかなければならな
いのは当然である。しかし、伝統的な個人墓地等の個人名義の墓地では、墓地の承継に際してその経営
者としての地位は、行政官庁による新たな許可を必要とするのではなく、祭祀承継者によって承継でき
ると考えるのが相当であろう。他の伝統的墓地(ムラ墓地や寺院墓地)では、一般的に承継の問題は起
こらない。
*16 谷口知平「墓地使用権の性質および墓地経営をめぐる諸問題」『宗教法研究』第六号〔一九八五〕
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・縁故者等から申出があった場合には,無縁墳墓等に係る改葬に該当しないので,通常の改葬許可の申
請手続が必要となる。
・官報と立札の記載内容は同一でなければならない。例示としては,次のようなものである。
無縁墳墓等改葬公告
○○○○○○○○○○○のために無縁墳墓等について改葬することとなりましたので、
墓地使用者等・死亡者の縁故者及び無縁墳墓等に関する権利を有する方は・本公告掲載の
翌日から1年以内にお申出ください。
なお,期日までにお申出のない場合は,無縁仏として改葬することになりますのでご承
知ください。
平成○年○月○日
一 項墓等所在鞄 東京都○○区○○○○○
一 墳墓等の名称 ○○○○○○
一 死亡者の本籍及び氏名 東京都○○区○○○○○○○○○○○○*
一 改葬を行おうとする者 東京都○○区○○○○○○○○○○○○
* 死亡者の本籍及び氏名が全く判らない場合は「不詳」と記す。
(3)官報の写し及び立札の写真
・公告の事実を市町村長において確認する趣旨のものであり,官報については公告を掲載している部分
の複写で差し支えない。立札の写真については記載内容等が明瞭に確認できるものであることが必要で
ある。
(4)その他市町村長が特に必要と認める書類
・改葬許可権限着である市町村長が許可を行うに当たって必要な書類を添付しなければならない旨を明
らかにしたものである。市町村長においては,あらかじめ必要な添付書類を定めておくことも、個々の
事案ごとに必要な書額の添付を求めることも可能である。
以上の添付書類も縁故者が存在するにもかかわらず無縁墳墓として改葬されることは,宗教的平穏の
保護や国民の宗教的感情等の点から適当でないので,通常の改葬許可に比しで慎重な改葬手続を求める
趣旨である。
これらの添付書類についても,市町村長による改葬の許可についての形式的要件に過ぎないことに変
わりはない。
なお,本法は,行政規制に関する法律であり,私人間の権利義務関係について定めるものではない。
本法及び施行規則による改葬の許可や改葬公告が直接に墓地使用権を始めとする民事上の権利義務関係
に変動を及ぼすものではない。
「形式的要件」というのは次の意味である。「申請書の記載事項及び添付書類は,改葬の許可につい
ての形式的要件であり,この要件を満たす場合に,市町村長は,その申請に対し,国民の宗教的感情,
公衆衛生その他公共の福祉の見地から,許可をすべきか否かという実質的審理,判断を行うことにな
る」
*17 墓地の使用権に関して、森茂は「墓地利用が、必ずしも墓地所有権者と墓地使用権者と対応して
いないケースがある」として「墓地利用について、墓地経営者と墓地使用者の関係ととらえ検討する」
(「墓地使用権(1)」『明治薬科大学研究紀要(人文科学・社会科学編)』第二六号〔一九九六〕、一四
二頁)と論じているが、それ以降の議論の展開でこの趣旨が必ずしも徹底している訳ではない。また、
墓地使用権の権利の性格として、債権的性格(大澤正男)、賃貸借類似の権利(田山輝明)、あるいは
「物権化した債権」(高山研造)、慣習的用益物権(谷口知平)等多様な議論が展開されている(この議
論については森茂「墓地使用権(2)」『前掲』〔第二八号、一九九八〕)を参照。これ等の見解に共通す
ることは、墓地使用権を墓地所有権との関連で位置づけていることであり、絶対的な所有権に対抗する
権利として使用権の位置付け、使用権の手厚い権利保護をはかろうとする苦心をこれらの議論に読みと
ることができる。しかし、霊園型墓地使用権は、所有権に根拠づけられる権利でもなければ、所有権に
対抗する権利でもない。また、墓地使用権を私法上の枠組みで論ずる限り、墓地使用者の権利保護には
限界がある。私法上の権利関係は生きた人間同士としては有効であるかも知れないが、私法上の枠組み
では死者を保護することはできない。
– 34 –
一九六頁以下